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金刀比羅宮
ことひらぐう
香川県仲多度郡琴平町892−1

参道の境内社は以下の通り。
祓戸神社瀬織津姫神 速秋津姫神 氣吹戸主神 速佐須良姫神
火雷社火産靈神 奧津比古神 奧津比賣神 (配祀)八衢比古神 來名戸神 八衢比賣神
真須賀神社建速須佐之男尊 神奇稲田姫尊
御年神社大年神 若年神 御年神
事知神社積羽八重事代主神 外二柱
厳島神社市寸嶋姫尊
大山祇神社大山祇神


火雷社

祓戸神社

全国皇陵諸社遥拝所

真須賀神社

御年神社

事知神社

厳島神社

大山祇神社

龍が刻まれた灯籠

本殿の右手に、奥社への参道がある。
案内では片道20分。急な上りではなく、ダラダラと登る階段が、
運動不足には辛い。
参道脇には、五百回参拝とか千回参りなどの記念の石碑が立っていた。

参道途中には、3つの神社。
常盤神社武雷尊 誉多和気尊
白峰神社崇徳天皇 待賢門院 大山祇神
菅原神社菅原道眞 合祀 宮比神 倉稻魂神 久那斗神 八衢彦神 八衢姫神
上筒之男神 中筒之男神 底筒之男神 火産靈神 奧津比古神
相良神 寳殿神 野槌神 重徳神 山家公頼

奥社は、厳魂神社という名前で、嚴魂彦命を祀る。
奥社の前には、崇徳上皇御参籠旧跡である威徳巖があり、
ゴツゴツとして岩肌が露出している。
その岩の上方に、天狗の面が2つ付けられていた。
伝説では、象頭山の天狗を金毘羅坊といい、
この天狗に祈ると霊験が多いが、祟ることも甚だ厳しいという。
祭神・嚴魂彦命は金刀比羅本教の教祖であり、
戦国時代に荒廃していた当宮を中興した別当・宥盛。


常盤神社

白峰神社

菅原神社

威徳厳、上方に面

奥社 厳魂神社

厳魂神社

岩に張り付いた面

厳魂神社本殿

御本宮由緒書
 はじめ大物主大神を祀り、古くは琴平神社と称する。中古仏教の興隆に伴い、本地垂迹説の影響を受けて金毘羅大権現と改称し、永万元年(一一六五)に至って、御相殿に崇徳天皇を合せ祀る。明治初年(一八六八)になって神仏混淆を廃し、元の神社に復り、明治元年七月、特に宮号仰出され、金刀比羅宮と改称され現今に至る。
 御祭神は、大物主大神と申し、建速須佐男尊の御子、大国主神の和魂神に坐す。当宮は、大神が国土経営の砌、暫し行宮を営まれた御旧蹟と申し伝えられており、神代の昔より御鎮座せられている御縁深い旧社である。
 又、御相殿に鎮まります崇徳天皇は、第七四代鳥羽天皇の第一皇子で御名は顕仁。元永元年(一一一九)誕生、保安四年(一一二三)五歳で即位し、第七十五代の皇位を継承、永治元年(一一四一)に近衛天皇に譲位、後保元の乱にあい讃岐国綾郡松山(香川県坂出市)に配流せられ、世に讃岐院と称し奉られる。
 籠居九ケ年の間、金刀比羅宮境内古籠所に御参籠せられ、又親しく御宸筆を納められた由縁が有る。
 長寛二年(一一六四)八月二十六日崩御、御寿四十六歳。讃岐白峰陵(香川県坂出市)に葬り奉る。翌永万元年七月、御在世中の御縁故に依り、ひそかに御霊を迎えて御相殿に斎き祀る。
 桃園天皇御宇宝暦三年十二月、勅願所仰出され、同十年五月、日本一社勅願所たるべき旨、綸旨を賜り、爾来明治初年に至るまで、毎年春秋の二季に、禁中より御撫物を当宮別当に下して、宝祚悠久を祈らせる。そのほか、桃園天皇、後桜町天皇、後桃園天皇を始め暦朝皇室のすこぶる篤く、御代拝を差し遣わされたり、或いは金品の御寄付あらせられる事があり、光格上皇には天保十年、臨時御祈祷仰出され、孝明天皇には安政五年、文久三年の両度臨時御祈祷仰出される。また明治天皇には、明治十六年、御思召を以って御短刀一口御寄付仰出され、同二十一年には当宮保存会設立の趣を聞食されて金員を御下賜遊ばされる。近くは大正天皇、今上天皇の御参拝あらせられる等皇室の崇敬篤く、武門武将より一般市民に至るまで、広く信仰せられている。
 全国津々浦々からの参拝客は、毎年三百万から四百万。それぞれ深い御蔭を戴かれて居る。

−『平成祭データ』−



【 金刀比羅宮 その2(印刷用ページ) 】

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