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鳥海山大物忌神社
ちょうかいざんおおものいみじんじゃ
山形県飽海郡遊佐町大字吹浦字布倉1
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山形県遊佐町にある。
吹浦駅の北500m、鳥海ブルーラインの入口近く、
鳥海山の西麓に鎮座。
北に延びる参道の先、岡の上に社殿があり、
拝殿の後方には、二棟並んだ本殿。
当社には、月山神が勧請されており、
東側(向って右)に大物忌神、西側(向って左)に月山神を祀り、
「出羽国一宮両所大菩薩」とも称されていた。
鳥海山の南西麓、蕨岡にも、蕨岡口之宮が鎮座している。
社伝によると、景行天皇の御代に出現し、
欽明天皇二十五年、鳥海山上に鎮座した。
他説では、欽明天皇七年の鎮座とする。
鳥海山は古代日本の北の境界に位置し、
異狄に対して神力を放って国家を守ると考えられており、
更に、穢れを清める神でもあるという。
「三代実録」貞観十三年五月十六日の条によれば、
鳥海山噴火により、青黒い泥水が流れ、
臭気が満ち、死魚が多く浮かび、泥流によって苗稼は枯れ、
濁流により草木が枯れてしまった。
この噴火の原因は、墓の骸骨(死)によって山水が穢れたからだという。
また、『本朝世紀』天慶二年四月十九日の条によれば、
出羽国で発生した天慶の乱の時、鳥海山が噴火して
兵革を知らせたという。
明治四年、まず、当社吹浦の宮が國幣中社になったが、
明治十三年、鳥海山上の祠を本社とし、吹浦・蕨岡の両社を
それぞれ口之宮と定められた。
本殿に左手には、白山大神社と、もうひとつの境内社。
参道階段の脇には、雷電神社があった。
『平成祭データ』によれば、
稲荷・磯前・丸池・風などの諸社が、境内社・末社と記されている。
参道入口 | 参道 | 階段 |
階段上に社殿 | 階段脇に講務所? |
境内後方に二棟並んだ本殿 | 拝殿、後方に本殿 |
手前が月山神、奥が大物忌神 |
雷電神社 | 境内社 | 白山神社 |
特に歴代天皇の崇敬篤く八幡太郎義家の戦勝祈願、北畠顕信の土地寄進、鎌倉幕府や庄内藩主の社殿の造修等代々の武将にも篤く崇敬されてきた。 中世神仏混合以来鳥海山大権現として社僧の奉仕するところになったが、明治3年神仏分離に際し旧に復して大物忌神社となり同4年国幣中社に定められた。 昭和30年鳥海山大物忌神社と改称鳥海山の御本殿は伊勢と同じく20年毎に建て替える式年造営の制になっている。現在の御本殿は昭和52年に造営のものである。 −『平成祭データ』− |
【 鳥海山大物忌神社 (吹浦口之宮)(印刷用ページ) 】