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伊米神社
いめじんじゃ
新潟県小千谷市大字桜町1314
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式内社 越後國魚沼郡 伊米神社 |
小千谷駅から291号線を西へ。
信濃川を越えて進み、関越自動車道の手前。体育館の側にある。
当社(桜町)を中心に、一ノ宮・二ノ宮・伊米田・上神伊米・宮脇
草薙・天王など、往古の当社の盛大さを示す地名が残っている。
八幡宮を相殿に祀り、拝殿扁額にも
「八幡宮」「伊米神社」の二社の名が併記されている。
当社は、式内社・伊米神社の有力社だが、
『越後國式内神社考證』『特撰神名牒』『大日本史神祇志』『大日本地名辞書』
では、式内社・魚沼神社に比定されいている。
多分、他社を伊米神社に比定し、
大社であった当社は、かならず式内社であったはずだと考え、
確証のない魚沼神社にあてたものだろう。
当社の周囲の道路は、整備され、境内や鳥居も新しい。
緑に赤が非常に映える神社だ。
参道が非常に美しい。市街地近郊の神社。
拝殿の額には「八幡宮」「伊米神社」の文字が並んでいる。
鳥居 |
参道 | 参道鳥居 |
境内 |
拝殿 | 拝殿 |
拝殿額 | 本殿 | 神木 |
『神名帳考證』は、神武紀「粮名爲二嚴稻魂女一 稻魂女、此云二于伽能女一」
と、武蔵國式内社稻乃賣神社の例をあげて稻霊とする。 『特選神名牒』は伊米大神天香山命別魂と記し、『大日本史神祇 志』に「相傅、祀二天香山命一 土人伝説」とあるのは、共に當時 (明治初年頃)の傅承であらう。『越後國式内神社考證』は、 「考證、五十嵐麗景云、此稱號地名ヨリ出タルナリ、今小 千谷ヨリ西北ノ方十町許リ、一ノ宮テフ處ニ伊米神社ト稱 へル社アリテ、八幡大神ヲ祭レリ云々」とあり、同社附近 にある「カンメイ」(神伊米カ)「宮ノ内」「宮脇」などの 地籍が伊米神社の舊跡で、同社が絶えて今の八幡社に其稱 號を移し唱へたのであらうとの麗景の見解をのせてゐる。 寛政九年(一七九七)二月の『四郡式内神社連印』にも當社 神主が連印し、明細帳は相殿に誉田別命を祀るとしてゐる。 神社の北方に「カンイメ」(上伊米、神伊米)の舊跡があ り、また「宮ノ内」「宮脇」の名が水帳に見え、古の書上 に「伊米塚、伊米田、伊米ヶ原、一ノ宮の村名あり云々」 と記す。 −『式内社調査報告』− |
【 伊米神社(印刷用ページ) 】