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川合神社
かわあいじんじゃ
新潟県長岡市東川口1979−43  Zenrin Data Com Maps display !!


笹龍胆

式内社 越後國魚沼郡 川合神社
旧村社

御祭神
天水速女命 相殿 武甕槌神

多奇波世命 『神名帳考證』『越後風土記節解』など
障泥(アヲリ)大明神 『社傳』『越後國式内神社案内』など
水波能女命 『特撰神名牒』

長岡市(旧北魚沼郡川口町)にある。
越後川口駅の西、17号線とJRの交差する場所。
魚野川と信濃川の合流地点にあり、まさしく川合。

17号線から少しだが、北へ入った場所で、道路脇に鳥居がある。
境内には「式内」の石碑がいくつか建っている。

社伝によると、雄略天皇二十二年の創祀。
式内社・川合神社に比定されている古社。

通称、「あをり大明神」。古事記には、
垂仁天皇の御子・ホムチワケノは、
大人になるまで口が聞けなかったが、
空を飛ぶ鵠の鳴き声を聞いて、はじめて片言を喋った。
そこで、山辺の大鶙(オホタカ)という人を遣わして、
その鵠を捕らえさせた。
山辺の大鶙は、紀伊から播磨、
因幡、丹波、但馬、近江、美濃、尾張、信濃と
追い続け、遂に越の国の水門に「アミ」を張り、鵠を捕らえた。
これにより、和那美の水門と呼ぶようになった。」
この「アミ」を織ったところから、アミオリ大明神と称したという。

新潟の地図を見ていたら、
当社の南東、駒ケ岳方向20Kmに「アオリ」という山がある。
なにか関係あるのだろうか。

祭神に関する異説として、多奇波世命がある。
姓氏録では、川合公は、上毛野と同祖。多奇波世君の後とある。

大正時代に、上越線開通により、境内が二分され、
その後、南西に100m移動したらしい。


鳥居

社号標

境内

拝殿

社殿

拝殿内の幕

石碑


【 川合神社 (東川口)(印刷用ページ) 】

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