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長瀬神社
ながせじんじゃ
新潟県加茂市大字宮寄上1557

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加茂市宮寄上にある。
加茂川の上流、水源池近くの川の側に入口があり、
狭い石段の参道を、かなり登る。
東隣には、真言宗熊野山本宮院嶽山寺がある。
入口は、寺の方が立派で、当社の入口は分かりにくいぞ。
加茂川の水源に位置するために、長瀬と称する。
地元では、「虫歯の神様」として信仰されている神社。
天平勝宝八年(756)の勧請。
平安末期、越後国を支配した城氏によって破棄された神社を、
建保二年(1214)、岳山寺(嶽山寺)が再興。
以来、阿弥陀仏を本地とし熊野権現と称されてきた神社で、
御神木も「熊野杉」。
神社の鎮座する山は、
南北朝時代、新田義貞の三男・義宗の居城のあった、
岳山城跡でもある。
社頭、嶽山寺の右に入口 |
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嶽山寺の入口 ![]() | 参道階段 ![]() | 社号標 ![]() |
参道の鳥居 ![]() | 境内 ![]() |
社殿 ![]() | 境内社・妙音堂? ![]() |
拝殿 ![]() | 本殿 ![]() |
御神木・熊野杉 ![]() | 社前の川と山々(栗ヶ岳?) ![]() |
岳山城跡 今からおよそ六〇〇年前(西暦 一三六〇年頃)南朝の後醍醐天皇を いただいた新田義貞と、これに謀叛 して北朝の天皇を擁立した足利 尊氏の間に勢力をめぐって争い が続いた。 この頃後醍醐天皇の第五皇子 宗良親王は新田義貞の三男義宗 とともに七谷に兵をおいた。 ここがその城跡である。 −境内案内より− |
【 長瀬神社 (宮寄上)(印刷用ページ) 】
