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意非神社
いひじんじゃ
鳥取県八頭郡若桜町屋堂羅1
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式内社 因幡國八上郡 意非神社 |
鳥取県若桜町にある。
若桜鉄道の若桜駅から東へ500mほどの屋堂羅に鎮座。
八東川を越えて少し進むと、道路脇に一本の幟竿が立っており、
横に「日本一の大幟」という案内板がある。
その幟附近から、少し丘に登ると、林の中に境内。
境内の奥に、社殿がある。
赤い屋根の拝殿の後方に、足の長い本殿が立っている。
創祀年代は不詳。
社名の意非は、社前の案内板には「いひ」とあり、
『平成祭データ』では「おい」と書かれていた。
どちらの読み方も存在しているようだ。
社伝によると、
天饒日尊の四世孫である、天礪目命が大炊形部と称し、
その子孫が、祖神を祀った神社。
また、神社創立伝承によると、
往古は、一ノ宮谷(不香田)に在ったが、
武内宿禰が、白羽の矢を射て、落ちた場所に
「大炊の神を遷す」と宣言したことにより、
当地に遷されたという。
「大炊の神」が当社の神であるから、
「おい」と読む方が正しいのだろう。
『因幡志』では、大炊宮、老ノ宮との表記もあるらしい。
その後、元禄二年字宮ノ前に遷座し、社殿を再建。
明治七年一二月、さらに社殿を造替えた。
神紋は、違い矢紋。
拝殿の屋根と、本殿の扉に刻まれていた。
神社創立伝承から「矢紋」が採用されたのだろう。
日本一の大幟 | 境内 |
社殿 | 本殿 |
意非神社(祭神 天饒日命)
創立年代は不詳。延喜式神名帳(延長
五年〔927〕)に記載されている神社
で、当時若桜町では唯一の神社であ
った。伝承によればかっての昔武内
宿弥が因幡の国の守護となって下向
の節、一ノ宮谷(不香田)にあった
当社の境内で、白羽の矢を持ち「こ
の矢の落ちる処に大炊の神を遷す」
と矢を放ち、落ちた谷を矢落谷と名
づけ、ここに社屋を建て、矢堂羅村
とした。例祭日 十月九日日本一の大幟
平成元年十月八日に建立されたこの
幟は、樹令百年屋堂羅産の杉(高さ
31m)を竿とし、幟がタテ26.8m、
ヨコ1.8mの大きさ(畳30枚敷ける広
さ)で、揮毫は、幟が坂野重信前自
治大臣(参議院議員)、掲揚台が西
尾邑次鳥取県知事、記念碑は竹本憲
治若桜町長である。この幟は、同神
社で終戦頃まで使われていた五反の
ぼりを再建することになり、同地区
の活性化を図ろうと作られた。−社前案内− |
【 意非神社 (若桜町)(印刷用ページ) 】