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江神社
えじんじゃ
三重県伊勢市二見町江字明神奥992  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 伊勢國度會郡 江神社
皇大神宮摂社

御祭神
長口女命(天須婆留女命の子) 大歳御祖命 宇加乃御玉命

五十鈴川河口の西岸、42号線水族館東入口から南の路地に入って、
南下し、細い道を進んだ奥の突き当たりの森の中にある。

ここも、なかなかわかりにくい場所だ。
目の前まで来ていて、気付かず、地元の方に聞いた。
森の中に、鳥居・玉垣・正殿というシンプルな形。

垂仁天皇二十五年、倭姫命は二見の浜に至り、
堅多社を定めた後、五十鈴川の河口の江に巡幸したところ
佐美川日子と出会い、この土地の名前を聞いて、当社を定めたという。

式内社・江神社に比定されている古社。

その後衰退したが、寛文三年に再興されたという。

本来は、河口の江なのだが、俗に蒔絵の明神とも称されるらしい。


参道

社頭

社殿

倭姫命によって定められた。社名は五十鈴川の河口で入江になっているところからつけられた。 俗に蒔絵の明神と称される。

− 『伊勢の神宮百二十五社めぐり巡拝地図』−

『倭姫命世記』はその事情をさらに詳細に記述している。すなはち垂仁天 皇二十五年、倭姫命が二見の濱に至り、堅多社を定めた後、 「五十鈴河後之江ニ入坐、時佐美川日子参相、問給、 此河名何、白、五十鈴河後白、其処江社定給」とあつ て、五十鈴川の河口の江に倭姫命が巡行なつたとき、佐美 川日子と出会ひ、命が土地の名前を尋ねたのち江社を定 められたといふわけである。

−『式内社調査報告』−



【 皇大神宮摂社 江神社(印刷用ページ) 】

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