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周敷神社 藤原神社合殿
しゅうしきじんじゃ ふじわらじんじゃ あいでん
愛媛県西条市国安910  Zenrin Data Com Maps display !!

周敷神社

五三の桐

藤原神社

亀甲に麻の葉桔梗

式内社 伊豫國桑村郡 周敷神社
旧郷社

御祭神
周敷神社
天忍男命
配祀
天照大神
藤原神社
素盞嗚命
配祀
脚摩乳命
手摩乳命
奇稻田姫命

愛媛県西条市(旧東予市)にある。
伊予三芳駅の南2Kmほどの国安に鎮座。

周敷神社と藤原神社が一つの境内にある合殿形式。
境内入口には、それぞれの鳥居が立つ。
拝殿は二つが並んで長屋状態だが、
後方の本殿は、流造の二棟が並ぶ。

で、どちらが周敷神社で、藤原神社なのだろう。

神紋は、愛媛県神社誌には桐と木瓜とある。
ただし、
拝殿の瓦には、左が麻の葉桔梗、右が桐。
本殿の幕には、左が桐、右が麻の葉桔梗。
本殿の屋根には、左が桐、右が唐花。
本殿の幕には、左が桐、右が木瓜。
と、様々だ。
総じて、左が桐、右が木瓜だと思う。
藤原神社は牛頭天皇社とも呼ばれ、素盞嗚命を祀るので、
右が藤原神社なのだろう。

藤原神社は、応徳元年(1084)に、国安に勧請された神社。
文永十年(1273)に現在地に遷座した。

周敷神社は、「すふ」とも呼ばれ、
式内・周敷神社の論社。
周布鎮座の周敷神社が式内社であると思われているが、
周布は延喜式にある桑村郡ではないとして、
当社が式内社であると主張したもの。
この論争に宮内神社が加わり、江戸時代に揉めたらしいが、
松山藩により、無根の争論を主張したとして処罰され、
その後、論争そのものは収まったが、決着はしていない様子。

往古は、国安と高田の間に鎮座していたが、
水害が多いため、宝暦三年(1753)現在地に遷座し、
藤原神社と並び祀られるようになった。

周敷神社の神紋は桐で間違いないのだろう。
藤原神社の神紋は、木瓜か麻の葉。
拝殿の幕や、御旅所の台座には、麻の葉が描かれており、
こちらの方が珍しいので、当サイトではこちらを載せた。
亀甲の中に、麻の葉桔梗。
通常の麻の葉は六枚だが、ここでは桔梗の五枚なのだ。

ただし『愛媛県神社誌』では、桐紋と木瓜紋となっている。


鳥居

社号標と拝殿

両社拝殿

両社本殿

周敷神社

藤原神社

御神木

拝殿屋根瓦に神紋と獅子

住吉神社

田中神社と小祠

杉野神社

境内前の御旅所

御旅所

 周敷神社は、延喜式内小社であって、も と桑村郡三社の一社であり、往古より国安、高田両 村の氏神で両村の中央部に鎮座のところ、水害の多 いため、宝暦三年に国安村上に奉遷し、藤原神社と 社地を並べたが、後に区域を除き、一境内となる。
 藤原神社は、慶徳元年八月国広峯より勧請。 国安、高田両村の氏神として奉斎する。社領は、平 家の時代に没収となり、文永一〇年三月国安村上に 奉遷する。徳川幕府の崇敬篤く、紋幕、提灯等の寄進があった。

−『愛媛県神社誌』−



【 周敷神社 藤原神社合殿(印刷用ページ) 】

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