[HOME] > [神社記憶] > [中国地方] > |
|
西利太神社
せりだじんじゃ
島根県雲南市大東町清田字辛67
|
||
宍道湖の南10kmほど。雲南市にある。
大東総合センターから、清田川に沿って南東へ。
清田に地にある。勿論、清田=西利太で、地名が社名になった。
道路から少し上がった所に鳥居があり、
階段を登って、すぐ拝殿がある境内。
本殿は、やや小振りの大社造だ。
創祀年代は不詳。
式内社・西利太神社に比定されている古社。
江戸時代までは、「辛(カノト)明神」呼ばれていたが、
明治になって延喜式名・西利太神社に戻し、郷社に列せられた。
合祀の三柱は、飛地末社であった熊野神社を合祀したもの。
よって、十二所権現と呼ばれた時期もある。
主祭神は金山比古命。大東町は古代の鉄の産地。
周囲には横穴古墳などが散在する。
神紋は、本殿にあった「亀甲紋」だと思うが、
『式内社調査報告』には「特になく、丸に西を用いる」とあった。
『神国島根』では、「丸に西の字、後に剣花菱となる」とあり、
神紋が変わったようだ。
ただし、本殿の屋根には「剣」の無い花菱(花角)だった。
境内には歳徳神社という社務所のような形式の境内社があり
その後方にも小さな祠が祀られていた。
『神国島根』には、境内社として土祖神社、木山神社、稲荷神社、社日とある。
歳徳神社が土祖神社なのだろうか。
参道の灯篭 | 鳥居 | 参道階段 |
階段上の拝殿 | 拝殿 |
本殿 |
歳徳神社 | 境内社 |
出雲國風土記に
は、在神祇官社に「世裡陀社」とあるによって、「西利太」
も音仮字であることが知られるから「セリダ」と訓むべき
である。今日、この社の所在地を大東町の清田といってい
るが、この「清田」は、セリダが転訛してセイダとなった
ものと考えられ、所謂地名社であって、その地霊神を祭っ
たのが原始の姿であると思われる。 近世初期に成った『出雲風土記抄』には、「世裡陀社、 式ニ記二西利太神社ト一、是レ阿用郷清田村十二所権現ノ事也」とあ り、『雲陽誌』には「辛(カノト)明神、社家者流に『風土記』に載 る世裡陀祭、『延喜式』には、西利太神宮と書す斯なり 天和二年修造の祭文あり。祭礼十一月亥の日なり」とあ る。また、『出雲國式社考』には「風土記、世裡陀社とあ り、阿用郷清田村十二所権現をいふなり。祭神未詳。丹渡 國氷上郡、芹田神社あり」と記され、『出雲神社巡拝記』 には、海潮神社より十五丁として「清田村辛大明神、記云世 裡陀社、式云西利太神社、祭神かなやまひこの命」とある。こ れらによって、近世に於ては「十二所権現」といい、また 「辛明神」あるいは「辛大明神」と呼ばれていたことが知られる。 「セリダ」の語原は明らかでないが、『式社考』に暗示 されたように、「芹田」の意かとも思はれる。この辺は今 も良い芹の産地であるとされている。 −『式内社調査報告』− |
【 西利太神社(印刷用ページ) 】