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笥笠中宮神社
すがさちゅうぐうじんじゃ
石川県白山市中宮ヘ1  Zenrin Data Com Maps display !!

白山七社の中宮三社
旧村社

御祭神
中宮神
あるいは 木花開耶姫命 彦火火出見命

石川県白山市にある。
金沢駅から南へ40Kmほどの中宮に鎮座。
手取川の支流・尾添川に沿って
白山スーパー林道へ続く360号線を進み、
荒谷の交差点で左折して、尾添川を越えた場所。
新中宮温泉の東はずれに境内がある。

境内入口は南向き。
参道階段を上ると砂利の境内。
境内奥にガラスに覆われた社殿があり、
拝殿の後方に、本殿。

社号の「笥笠」は「すがさ」と読み、
当地の古名だそうだ。

社伝によると、
村上天皇の天暦十一年(957)の創建。

白山七社の一社にして、
別宮佐羅宮とともに中宮三社と称されている。

白山山嶺と白山本宮の中間に位置し
中宮と呼ばれている古社。

隆盛時には、白山五院、三ケ寺、中宮八院を傘下に置くなど
中世に於いては、本宮白山比咩神社を凌ぐほどの勢力だったという。

安元年間に、佐羅宮の御輿を押したてて
白山衆徒が都へ加賀の国衙を強訴によって追放した安元事件においては
その中心的位置にあり、
本宮四社とは、ある種の確執があったらしい。

明治五年村社に列し、明治十年三月、白山比咩神社の摂社となり
明治四十年十月、無格社・貴峰社を合祀して、
大正四年神饌幣帛料供進社に指定された。

参拝した時には、境内右手で
何かを作っているような感じで、
境内に小型のユンボが置かれていた。

参拝時刻が、朝の6時頃なので
作業は行われておらず、社殿を覆っているガラスの中に
一輪車などの作業道具が置かれていた。

境内後方は鬱蒼と茂る樹木の森で、
境内左手には天然記念物の七葉樹が茂っている。

印象としては、神社境内というより
蓼科かどこかの別荘地のような雰囲気だった。


境内入口

社殿

拝殿

本殿

境内左手に天然記念物・七葉樹

笥笠中宮神社由緒
祭神中宮神 或云
木花開耶姫命 彦火火出見命
笥笠は当地の古名にして 白山信仰
隆盛となるにつれ遥拝の地あるいは
尾添川を越え神域に入る要衝として
興り 山嶺と本宮の中央に位置する
ところから 笥笠中宮と称されるに
至った
創建は村上天皇の天暦十一年と伝え
られる 白山七社の一にして 別宮
佐羅宮と共に中宮三社と称えられ白
山五院 三ケ寺 中宮八院を傘下に
置くなど中世に於ては本宮白山比咩
神社を凌ぐほどに社殿宏壮神人社僧
多く威容を誇った 安元年間鵜川涌
泉寺闘諍の折 三社八院の衆徒佐羅
宮の神輿を奉り比叡山延暦寺を動か
し強訴に及ぶが 当社がその領導の
任にあったこと夙に世に知られる 
明治五年十二月村社に 十年三月白
山比咩神社の摂社に定められ 四十
年十月当区内に存した無格社貴峰社
を合祀し 大正四年十一月神饌幣帛
料供進神社に指定される

−境内由緒石碑より−



笥笠中宮神社の由緒
村上天皇天暦11年4月の創建と伝えられ、白山七社の内で別宮、佐羅の両社と共に中宮三社と称えられた。
加能紀要に「石川郡中宮村に在り、又笥笠中宮と称す。山嶺と本宮の中間に於て一社を営み三峰の神を祭る、故に中宮宮の名あり」。
明治5年12月2日村社に列し同10年3月21日内務省は改めて白山比咩神社摂社に定めた。
明治40年10月16日無格社貴峰社を合祀し、大正4年11月6日神饌幣帛料供進神社に指定された。

−『平成祭データ』−



【 笥笠中宮神社 (白山市)(印刷用ページ) 】

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