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額西神社
ぬかにしじんじゃ
石川県金沢市額乙丸町イ−31−1
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式内社 加賀國石川郡 額西神社 |
金沢市の南西部に位置する額乙丸にある。
北陸鉄道石川線乙丸駅の東500mほどの場所。
道路を少し南へ入った所にある。
北陸鉄道石川線を南下すると、白山比咩神社のある加賀一の宮へ続く。
当社の東500mの位置に、式内・額東神社が鎮座している。
神護景雲二年の創祀。
式内社・額西神社に比定されている古社。
往古は藪田明神と称していた。
額谷地区の東西に、額東神社、額西神社が鎮座しており、額地方の守護神。
加賀藩士柴野美啓による『亀の尾の記』には、
「額」とは不毛の地の事とあり、
不毛な谷あいの地を開拓した人々の守護神であった。
江戸時代には富山派の山伏・宝高寺が奉仕し、
明治までは、十一面観世音を奉祀していたともいう。
額東神社の祭神を伊邪那岐命としたのに対し、
当社祭神を伊邪那美命にしたもの。
二月の参拝。境内は、雪に覆われていた。
社殿の右手に石祠があり、そばに盤持石という石碑があったが、
由緒・謂れは不明。石祠の中に力石が入っているのだろうか。
額東神社が南面して鎮座していたのに対し、
当社は、西を向いている。
本殿は覆屋に囲まれ、確認できなかった。
社頭 |
境内 | 拝殿 |
境内の石祠 | 本殿 | 盤持石 |
神社明細帳等によれば、額東神社と同じく神護
景雲二年(七六八)の創立と博へ、往古は額七ケ村(額東神
社の條で記したごとく大額・額谷・額乙丸・額新保・額三十苅・
額助九・額栗林の七村)の總社と仰がれ、中世は守護の富樫
氏が社殿の造営をなす等深く崇敬するところがあつたとい
ふ。額東神社とならんで額地方の守護神として著聞し、往
昔は社地も廣大で三千歩もあつたといふが、近世以降は額
乙丸一村の産土社たるにとどまり、明治初年には無格社、
同十八年に村社となつた。神饌幣帛料供進神社に指定され
たのは昭和十五年八月である。
−『式内社調査報告』− |
【 額西神社(印刷用ページ) 】