[HOME] > [神社記憶] > [北海道東北地方] > |
|
聖神社
ひじりじんじゃ
福島県耶麻郡猪苗代町大字中小松字宮東42
|
||
福島県の猪苗代町にある。
磐越西線・川桁駅の西2Kmほどの中小松に鎮座。
203号線を西へ進み、磐越自動車道を通過し、
長瀬川にかかる中目橋を渡って北へ入ったところ。
境内入口は南向き。
鳥居の右脇に「村社 聖神社」と刻まれた社号標。
鳥居をくぐると、参道の正面に社殿。
拝殿の後方に、本殿の覆屋があり、
拝殿の中を覗くと、「聖神社」と書かれた額。
奥に、小さな本殿が見える。
当社は、江戸時代、領主の遺徳を偲んで、
領民が領主を祀った神社。
現在の政治家に参拝して欲しい。
弘仁元年(810)、当地が恵日寺の領地であった頃、
秋山右近某によって創祀された神社で、
もとは熊野神社と称していた。
文明四年(1472)、中目兵庫は当地の領主であったが、
大飢饉が発生。領民の多くは絶家となり、
飢饉に苦しんでいる姿を憂いて、領民の助命や再生に奔走し、
臨終に際しても、領地の土民を善く撫育保護するようにと
遺言を残したという。
領民は領主・中目兵庫の遺徳を偲び村内に祭祀した。
許可を得て、明暦元年(1655)
熊野神社と合祀して聖神社と改称した。
境内左手に、馬頭観世音や庚申の石碑、
青面金剛像の庚申塔や石祠などが並んでいる。
境内社には、駒形神社を愛宕神社があるらしい。
馬頭観世音が駒形神社だろうか。
社頭 | 鳥居 |
境内 |
本殿覆屋 | 拝殿 |
石碑と境内社 | 拝殿内部から本殿 |
境内 |
当社は、弘仁元年(810)恵日寺領地のころ該殺の吏秋山右近某の草創にして
旧号熊野神社と称し伊邪那岐、伊邪那美二柱の御神を祭祀せしが、
年暦を経恵日寺の領地も廃し秋山の子孫も断絶す。然れども熊野神社は連綿として土民崇敬す。
然るに640余年の後康正(1455〜1457)のころ領主芦名氏の族中目兵庫当御館主なりしが、
文明4年(1472)大飢饉にして土民飢饉に苦しみ過半絶家を憂ひて是を賑恤し
領内の人民たやすく助命す其後兵庫臨終に近臣達を傍附せしめ汝等予が志を継ぎ領地の土民を善く撫育すべしと遺言して死す。
因て土民等その厚志を慕ひ兵庫の霊を崇め聖人と号し村内に祭る。
其後明応元年(1492)熊野神社へ稲荷神社を合祀す。同年4月27日更に鎮守と崇め聖神社と号す。
然るに中目の住処当村地内字煤ケ屋にありしが長瀬川により三連年水災に罹り終に今の地に居村を移す。
後地税金5毛を収入し今の新地へ遷し除税の社地たり。
延宝3年(1675)領主保科氏領内神社改祭の際同村字松橋分熊野社へ合祀社録へも記載せらる。
又元禄中本村小桧山氏なるもの磐椅神社を合せ享保(1716〜1736)中又八幡神社を合祀し
聖社附の田3段1畝16歩(3.127㎡)を修繕の料に附せしが水災にて廃田となる。
御維新後明治3年(1870)閏10月10日旧社地へ復遷す。
−『福島県神社名鑑』− |
【 聖神社 (猪苗代町中小松)(印刷用ページ) 】