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子松神社
こまつじんじゃ
福島県田村市常葉町常葉字中町76
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式内社 陸奥國新田郡 子松神社 |
福島県田村市にある。
磐越東線・船引駅の東8Kmほどの町常葉中町に鎮座。
288号線から少し南へ入った場所。
田村市役所常葉行政局(旧常葉町役場?)の西に、
道を隔てて東向きの境内がある。
境内入口に「延喜式内郷社子松神社」と刻まれた社号標。
数段の階段を上ると鳥居があり、
参道の右手に手水舎。左手に縁起石碑。
石造の鳥居の後ろに木製の鳥居が立っている。
鳥居をくぐり参道階段を上ると社殿のある境内。
東日本大震災の影響か、参道や境内の灯籠が数基倒れていた。
また、境内右手にある神楽殿の基礎の石組も崩壊していた。
拝殿は入母屋造。拝殿後方に本殿覆屋があり
内部を確認できなかったが、本殿は流造らしい。
参拝は大震災から3カ月経過した2011年6月始め。
いわき市から北上して午後に到着。
参道を進むと、ちょうど西日に向かう形になった。
社伝によると、
桓武天皇の御宇延暦二十年(801)、
坂上田村麻呂が夷賊(悪路王?)討伐のため、祇園社にて祈願し、
無事、天嶽根山にて賊を平定した後、祇園社の加護に感謝し
麓に神殿を設けて素盞鳴尊を祀ったのが創祀。
鷲大明神とも称された古社で、常盤十三郷の総社。
式内社・子松神社の論社だが、式内社・子松神社は
陸奥国新田郡(宮城県栗原市付近)の式内社なので
距離が離れすぎているという理由で『式内社調査報告』では否定。
明徳三年(1392)常葉城主赤松越前守顕則公が社殿を再建。
明治九年十一 月郷社に列した。
『明治神社誌料』には、当社の社号が「小松」となっているのは
誤記だろうか。小松という表記も認められていたのだろうか。
賽銭箱などに三巴紋が付けられていた。
境内右手の奥に古峯神社が祀られており、
参道階段の脇に境内社らしき祠。
『平成祭データ』には、秋葉神社と古峯神社の名が載っている。
社頭 |
鳥居 | 参道階段 |
境内 |
本殿覆屋 | 拝殿 |
拝殿扁額 | 神楽殿 |
参道脇の境内社? | 古峯神社 |
子松神社縁起
恒[原文ママ]武天皇の御宇延暦二〇年(八〇二年)坂上田村磨呂
が夷賊を征すが爲め祇園社に詣じて祈り願う「吾今
勅を奉じて兇族を伐たんとす聴くが賊勢は極めて
強悪なり神威に憑るに非ずんばこれを討滅せるに
由なし願くが吾に神力を下被して功を奏せしめ給
へ」と念じける直に兵を進めて天嶽根山にて賊を平定す依て思う これ祇園社の素盞鳴命の神力加護なりその勝利を 祝いこの麓に神殿を設け素盞鳴命を奉斎る醍醐天 皇の御宇延喜式帳に記され延喜式内社子松神社と 号し給ふ その後明徳三年(一三九二年)常葉城主赤松越前守顕 則公神殿を再建し翌年九月に遷宮す明治九年十一 月郷社に列格し神餞幣帛料供進使指定社となる明 治四十年に十月十五日を例祭日と定め昭和二十七 年神社本庁の法人認定を期に新暦十月二十四日二 十五日二十六日の三ケ日を例祭日と定む昭和五十 五年三月御手水舎新築落成を祝し縁起碑を建立す −参道縁起碑より− 桓武天皇の御宇延暦20年祭神素盞鳴尊をこの地に祀る。 延喜式内社で、三匹獅子舞・長獅子舞等がある。 −『福島県神社名鑑』− |