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八千鉾神社
やちほこじんじゃ
石川県羽咋郡志賀町町28−3乙  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 能登國羽咋郡 大穴持像石神社
旧村社

御祭神
大穴牟遲命
合祀
志那都比古神 志那都比米神 表筒男命 中筒男命 底筒男命

石川県志賀町にある。
志賀町役場から、川を越えて西へ2Kmほどの町に鎮座。
日本海に近い場所で、海に向かって降る道の傍らに境内がある。

境内入口は南西向き。
鳥居をくぐり、階段を登ると狭い境内に、
どっしりとした社殿がある。
社縁は北陸特有の雪除けで覆われている。

能登旅行の時に宿泊したホテルの近くで、
宿に荷物を置いて、夕方の参拝。
というわけで、沈んだ夕陽の名残りで、境内はオレンジ色だった。

創祀年代は不詳。

社伝によると、大穴持像石神社と称した時期があるらしく、
中古、山崩れのため、その神宝である石が埋没したが、
当時の町の城主・平式部の夢のお告げによって、
掘り出され、以後、産土大神として崇敬されてきた神社。

式内社・大穴持像石神社の論社の一つで、
寺家の大穴持像石神社や、梨谷小山の大穴持美代神社と、
式内社論争を行ったこともあるが、根拠に乏しいとされ、
詮議未決に終わった経緯がある。

『特選神名牒』には、
「旧来、同郡町村と梨谷小山の両社を
像石神社として互に争論ありしかど、
寛延二年社号帳に町村は住吉大明神、小山村は三代大明神と記したるを、
宝暦十年の帳には町村を大穴持社、天明後は同所を八千鉾社とし、
小山村を大穴持身代社と記せるなど甚だ疑はしければとらず。」
とあり、当社が、住吉大明神、大穴持社、八千鉾社と
名前の変遷があったことがわかる。
ちなみに、住吉神は、現在、合祀の神々とされている。


社頭

鳥居

社号標

境内

社殿

社殿


【 八千鉾神社 (志賀町)(印刷用ページ) 】

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