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柏木神社
かしわぎじんじゃ
滋賀県甲賀市水口町北脇189  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴


番鳩

式内社 近江國甲賀郡 石部鹿鹽上神社
旧県社

御祭神
大己貴命 配祀 誉田別命 川島皇子

滋賀県甲賀市にある。
水口城南駅の北西1Kmほどの水口町北脇に鎮座。

参道入口は南側にあり、鳥居と社号標が建っている。
200mほどの参道を北上すると、社域の杜。
地図では、柏木公園の西側が境内。

社前を小川が流れており、石橋を渡ると鳥居。
砂利の参道を進むと楼門。
楼門をくぐると広い砂利の境内がある。

境内の中央に入母屋造の拝殿があり、
拝殿の後方に垣に囲まれて本殿が鎮座。
本殿は、桧皮葺の三間社流造。

参拝は年末の朝。
境内には、わずかに雪が残っており、
陽が昇り始めて間もない時刻で、
社殿の吊灯籠には、まだ明かりが灯っていた。

社伝によると、
白鳳元年(673)、あるいは白鳳以前の創祀。
日吉宮、日吉山王宮と称していたが、
建久年間、源頼朝上洛の折に、
鎌倉の鶴岡八幡宮より御分霊を勧請合祀し、
以後、若宮八幡宮と称されるようになったという。

当地は、中世より伊勢神宮の柏木御厨として知られ
元徳三年の検注帳には神田三町の社領があった。

近世に於いて、
当社は柏木荘十六ケ村の鎮守、総社として崇敬された神社。
明治四年に柏木神社と改称。
明治九年村社に列し、大正十一年に郷社、昭和二十年に県社に昇格した。

『式内社調査報告』によると、当社は式内社・石部鹿鹽上神社の論社。
「鹿鹽(かしお)」が「柏木(かしわぎ)」と通じるという理由だろうか。

本殿のある垣の前、左右に境内社が二社。
右手に大行社、左手に稲荷社ふがある。
また、境外社として日枝神社があるらしい。

神紋は、『滋賀県神社誌』によると左三つ巴と番鳩。
共に八幡の代表的な神紋。
三つ巴紋は、社殿の屋根や賽銭箱に付けられていたが
残念ながら番鳩は、参拝時に確認できなかった。


参道入口

参道と社域

鳥居

楼門

境内

拝殿

拝殿

稲荷社

大行社

中門

本殿

本殿

本殿

柏木神社
祭 神大己貴命大国主命
配祀神誉田別尊応神天皇)・川島皇子
祭典日例 祭四月二十日
八幡祭九月十四日、十五日
本 殿木造・檜皮葺・流れ造り・三間社
由 緒  当神社の創は、白鳳元年(六七三) に、日吉宮と称して大己貴命をお祀り していた。建久年間(一一九〇)源頼 朝が、鎌倉の鶴が岡八幡宮の御分霊を 合祀して多くの神田を寄付した。以後 社名を若宮八幡宮と称し、柏木荘十六 か村の鎮守のお社として栄えた。天正 八年(一五八〇)に織田信長の軍勢が 当地を攻めた時、桜門は安土の宗玄寺 に移築され、宝物・古文書等は焼失し た。寛永九年(一六三二)に水口城が 築かれた際に、城主が当社を守護神と して崇め、以後、歴代城主の祈願所に なった。承応四年(一六五五)に水口 城代の山口但馬守は、本殿・桜門を修 復し、石灯籠・手水鉢を寄進した。明 治四年、社名を柏木神社と改めた。昭 和二十年、県社に昇格する。この社は 五穀豊穣、病気平癒、厄徐[原文ママ]、交通安全 などの祈願が多い。

−境内石碑−



【 柏木神社 (甲賀市)(印刷用ページ) 】

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