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縣諏訪神社
あがたすわじんじゃ
長野県東御市常田字伊豆宮145
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長野県東御市にある。
しなの鉄道・田中駅の東1,5Kmほどの常田に鎮座。
鎮座地の字は伊豆宮といい、境内は伊豆宮公園となっている。
境内入口は南側。
道路から少し北に入った場所にあり、道路脇に「郷社 縣諏方神社」と刻まれた社号標。
鳥居の扁額も「縣諏方神社」と刻まれている。
鳥居をくぐり、公園の中の参道を進むと当社の社殿。
社殿の後方を国道18号線が東西に走っている。
拝殿は瓦葺入母屋造。後方の本殿は漆喰の覆屋の中。
資料によると本殿は流造のようだ。
社殿の右手の草叢の中に石祠や石碑がいくつかある。
一つの石祠の脇に、「諏訪宮」と刻まれた石の扁額が置かれていた。
中央部に砲弾のような形に石塔があったが、なんだろう。
創祀年代は不詳。
明治までは諏訪社と称していたが、旧縣村に鎮座しており、
明治十一年、縣諏訪神社と改称。
縣村内の田中・常田・加澤三ケ村の産土神として崇敬された神社。
元は、字古宮と呼ばれる地に鎮座していたが、
水害のため、享保元年、現在地に遷座。明治六年郷社に列した。
祭神は、『平成祭データ』『明治神社誌料』『小縣郡史』などには、
健御名方刀美命一柱となっているが、
『全国神社名鑑』には、八坂刀自神と久留須命の名も記されている。
当社は「するすの宮」とも呼ばれており、
この「するす」は「くるす」が訛ったものらしい。
ということで、久留須命を祭神に加える伝承もあるのだろう。
また、鎮座地名の字が伊豆宮というので、「伊豆宮」とも呼ばれていたのだろうか。
「いず」や「くるす」が何を意味するものかわからないが、
なかなか面白い由緒のある神社なのかもしれない。
『全国神社名鑑』によると当社の神紋は「かじの葉紋」。
参拝時に確認できなかったので、一般的な立梶紋を載せておく。
社頭 |
社号標 | 鳥居 |
鳥居扁額 | 参道 |
境内 |
社殿 | 社殿と御神木 |
拝殿 | 本殿覆屋 |
社殿横に境内社 | 石祠 |
「諏訪宮」扁額と石祠 | なんだろう |
縣諏訪神社
縣村大字常田、字伊豆宮にあり。もと諏訪社と稱し、明治十一年四月四日縣諏訪神社と改稱許可。祭神は建
御名方刀美命。創立年月詳ならず、舊加澤・常田・田中三村の産土神にして、一に須留須宮の稱あり、盖久留
須宮の訛言なるべしといふ。もと字古宮に鎮座せしが、享保元年今の地に遷す、境内社に辨天社・秋葉社・子
安社・天神社・山神社あり。明治六年四月郷社に列す。同四十年九月二十日神饌幣帛料供進指定。同四十一年
十月二十七日曾計法適用指定。同四十二年九月二十八日天神社・戸隠社・皇大神社の三無格社を合祀す。本社・
拝殿・祝詞殿・鳥居を具備し、境内千〇三十二坪。氏子二百九十五戸。合併神社天神社は明治四十一年一月・事
比罹社・大日靈社・神明社・諏訪社を、戸隠社は同四十年五月、伊豆社・伊勢社・羽黒社を、皇大神社は同四十年
六月天神社二社・山王社・八幡社・駒形社・皇大神社・金刀比羅社を合併許可せられ、更に本社に合併せられたる
なり。
−『小縣郡史』− |