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丸子神社
まるこじんじゃ
静岡県沼津市丸子町740
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式内社 駿河國駿河郡 丸子神社 |
静岡県の沼津市にある。
沼津駅の西1Kmほどの丸子町に鎮座。
380号線から少し北に入った場所、
中学校の南に、道路に面して南向きの境内がある。
石の垣に囲まれた境内には、
木々が茂っていて、市街地にあるのに良い雰囲気。
白い石鳥居をくぐると、砂利が敷詰められた境内。
中央奥に、コンクリート造の洒落た社殿がある。
参拝は、年末12月30日、日の出前。
街は、そろそろ明るくなり始める頃。
ということで、写真は暗め。
社殿に近づくと、センサーによって自動で明かりが灯る。
参拝する季節や時刻によって
印象は変わるだろうが、
清潔で、静かで、穏やかな雰囲気の神社だった。
式内社・丸子神社に比定されている古社。
当社の社号から、鎮座地名が丸子になったという。
社伝によると、崇神天皇の御代に創祀されたという。
一説には、履中天皇四年の創祀とも。
また、延喜二年の創祀(あるいは遷座)とも。
村上天皇の御宇、天暦年中、
天下泰平を祈願し、太刀が献上され、
建武二年にも、鎌倉幕府のために新田義貞の舎弟
脇屋義助が行光の太刀を献上した。
室町末期には戦火のために社殿を焼失。
江戸時代に復興し、境内は八町八反四方、社領五百三十石、
社家八十六人を数えるほどとなった。
天保二年(1831)、社殿焼失により
浅間神社の相殿となり、
明治十年二月、浅間神社に正式に奉遷され、現在に至る。
よって、当社は丸子神社の古社地。
神霊はすでに無く、浅間丸子神社の御旅所らしい。
が、氏子の方々には今も崇敬され、
しっかりと整備・保全されている。
社殿のガラス扉に、月と稲の紋が書かれていた。
この後、参拝した浅間神社の賽銭箱にも同じ紋が付けられていたので
浅間神社の賽銭箱の写真から切り出して
神紋として掲載しておいた。
『全国神社名鑑』によると、「月に稲穂」と呼ぶらしい。
社域 |
境内入口 | 境内 |
社殿 |
御由緒
丸子神社の御祭神は金山彦尊と申し上げ、今日いう金属関係を主宰される神
様であります。旧記には「金山を主宰する神、伊邪那美神の御子也、荒金を土中に採り、こ れを以って或は剣、鏡をつくり、或は刀杖、鋤、鍬を鍛える等皆この神の幸 へ護り給うところなり。」とあります。 第六十代醍醐天皇の延喜式神名帖に所載する「式内神社」で第十代崇神天皇 の御代この地に創建されたといわれている特別御由緒のある神社であります。 第六十二代村上天皇の天暦年間には天下泰平御祈願所に第九十六代後醍醐天皇 の建武二年には武運長久永代御祈祷所を仰付けられ、これより第百二代 後花園天皇の永享年間まで社運の隆昌を極めましたが天正十年武田、織田両 氏の戦で戦火のため社殿焼失の災に遭ってから一時衰微しましたが、後に復 興第百十七代後桜町天皇の明和年間から第百十八代御桃園天皇の安永年間に 至る間は最も隆昌した時代で、境内も八町八反四方、社領五百三十石、社家 八十六名を数えたといわれます。 明治元年十月七日明治天皇が当地を御通輦の折は、植松少将を官幣使として 当神社に御差遣あらせられました。 明治六年三月には郷社に、明治十年十二月には現在の浅間神社に御遷座奉斎 され、翌々年明治十二年七月二十二日に県社に昇格されたのであります。 ここに旧社地として御分霊を奉斎してありますが、近時、小祠が老朽化し たため改築の議がなされ、氏子崇敬者の協力により、昭和五十三年六月新た に社殿の改築がなされました。なお改築に伴なって埋蔵文化財の発掘がなさ れ、その結果貴重な祭祀遺跡として由緒ある古い神社であることが確認され たのであります。 −境内石碑− |