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薭田野神社
ひえだのじんじゃ
京都府亀岡市薭田野町佐伯垣内亦1
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京都府亀岡市にある。
亀岡駅の西5Kmほどの薭田野町佐伯に鎮座。
京都丹波道路の亀岡I.C.から372号線を西へ2Kmほど進み
北へ入ると、当社の大鳥居が南向きに建っている。
大鳥居をくぐって左手(西)へ曲がると正面に境内。
垣に囲まれた境内に入ると、
左手に稲荷神社の鎮座する小さな林があり、
中に石組があるが、古代の祭祀跡だろうか。
参道の正面に拝殿があり、拝殿の後方、垣の中に本殿。
本殿の南側に、鎌倉時代の燈籠があるらしいが撮影し忘れた。
本殿の後方は塚状になっており、かっては禁足地だったらしい。
拝殿の左手に「石の環くぐり」という
石でできた茅輪のようなものがある。
また、境内右手には「必勝祈願石」がある。
当社は祈願に霊験のある神社として崇敬されているようだ。
綺麗な砂利の境内で、明るい雰囲気の神社だ。
社伝によると、
和銅元年(708)大神朝臣狛麻呂が丹波国守として派遣され
和銅二年(709)五穀の守護神として創祀したという。
式内社・薭田野神社の比定される古社。
「薭田野」の社号については
稗は、五穀の首位であり、五穀の神である保食神に因んだとするが
薭田氏(薭田野阿禮)を祀るとする説もあるらしい。
鎌倉時代の正元二年(1260)、神宮寺が建てられたが
この寺は八幡の橋本坊の末寺であったことから
八幡の別宮と考えられ、当社は稗田野八幡宮とも称されていた。
なお神宮寺は、明治の廃仏毀釈によって廃止された。
当社は女性の守護神としても崇敬され
「お百度すれば婦人病にかからない」とか
「当社に詣でた婦人を娶ると男は一生幸せである」などというらしい。
当社の特殊神事に丹波の三大祭・丹波の奇祭とされる
「佐伯燈籠祭」がある。
貞観元年(859)五月二十日、勅使による稲の成育祈願が行われ
堀川天皇の寛喜元年(1229)稲の豊作を祈る
五基の御所燈籠が下賜されたのが燈籠祭の起源。
燈籠祭では、高さ30cmほどの串人形による浄瑠璃が奉納される。
境内社として稲荷神社とえびす神社が鎮座。
社殿の屋根には桐の紋が付けられていた。
南向きの大鳥居 | 東向きの鳥居 |
境内 |
拝殿 | 社殿 |
本殿、垣内に鎌倉時代の燈籠 | 本殿、垣内に春日神社がある |
稲荷神社と祭祀跡? | えびす神社 |
石の環くぐり | 必勝祈願石 |
延喜式内 薭田野神社(京都府亀岡市薭田野町佐伯) 当神社は和銅二年(七〇九)の創建でその後平安時代 には延喜式(九二七)に記された古社。御祭神は保食命 (うけもちのみこと) 大山祇命(おおやまずみのみこと) 野椎命(のづちのみこと)の三柱で五穀豊穣の守護神。 鎮守の森中央の土盛は弥生時代以来の祭祀跡。神殿南側 堀内の京式八角石燈籠は鎌倉時代の作品と言われ旧法で 国の重要美術品の指定を受けていた。八月十四日に行わ れる四社合同の夏祭りは「丹波佐伯郷の燈籠祭」と呼ばれ 食物の豊作を祈願する平安朝以来の大祭として伝えられ ている。平安時代に御所より当社に下賜された「五個の 神燈籠」は当時の稲作の様子を五場面に表わし神輿や大 太鼓とともに五穀豊穣祈願の神事の中心となり燈籠祭と 呼ばれる所以である。また、背丈三十cmほどの日本最小 の串人形で浄瑠璃が演じられる。京都府より無形文化財 の指定を受け国の無形文化財記録保存に採択されている。 尚当神社は鎌倉時代より神宮寺として栄え稗田八幡宮 とも称し疫病退散・健康長寿の霊験あらたかな社として 称えられ又女性の守り神として若い女性の参拝も多い。 最近は悪病退散・癌封治の社として全国より参拝者も多 い。(保食命は別名豊受大神で伊勢の外宮と同じ御祭神) −境内案内板− |