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志布比神社
しぶひじんじゃ
京都府京丹後市丹後町大山922  Zenrin Data Com Maps display !!


名称不明

式内社 丹後國竹野郡 志布比神社
旧村社

御祭神
志夫美宿禰命

京都府京丹後市にある。
近畿タンゴ鉄道宮津線・峰山駅の北13Kmほどの丹後町大山に鎮座。
竹野川に沿って482号線を北上したあたり、
竹野川の西200m、道路の西側に境内がある。

境内入口は東向き。
参拝は炎天下の八月の午後なので、太陽に向かって参拝。
入口右手に「志布比神社」と刻まれた社号標が立っているが
「志希以神社」とも読めそうな文字で、
地図には「志希以神社」と記されている場合がある。

鳥居をくぐると左右に石柱が立っており、
広場のような雰囲気の砂地の境内。
右手には鉄棒やブランコ、滑り台などの遊具がある。
参道の正面(西奥)に社殿。
拝殿は瓦葺入母屋造妻入りで、拝殿の後方に
本殿を納めた上屋があり、中に流造の本殿が納まっている。

非常にシンプルな神社だが、
境内左手の真新しい手水舎には、常に竹菅からチョロチョロと水が落ち
用意されている柄杓も綺麗で、氏子の方々に大事にされていることがわかる。

創祀年代は不詳。

通称は、塩干神社(しおほしじんじゃ)、しおほつさん。

祭神は、志夫美宿禰命
志夫美宿禰命は日子坐王命の子で、
日子坐王命の命によって当地の賊を平げた英雄。

式内社・志布比神社の論社。

ただし、異説として
藤原道長に使えた道長四天王の一人であり、
和泉式部の夫でもある平井保昌(藤原保昌)によって
当地の塩害が改善され、稲が実るようになったため、
平井保昌を祀るという説もあり
志布比神社とは無関係とも考えられる。

元禄十年、享保二十一年、寛政三年の三回建宮があり、
明治四年村社に列した。

寛政八年(17966)と刻まれた手水鉢に
神紋らしきものが刻まれている。
参拝時には、単純に花菱紋だろうと思ったのだが、
よく見ると、花菱紋とは微妙に違う。
瓢箪を紐を結んだような、シンプルで単純な紋なのだが
残念ながら名前がわからず、何を図案化したものかも不明。

拝殿の右手に、4つの祠を納めた境内社があるが
こちらも詳細は不明。
『式内社調査報告』には、境内社として稲荷社の名前が載っている。


社頭

鳥居

境内

境内社殿

本殿上屋

本殿

手水鉢

境内社


【 志布比神社 (丹後町)(印刷用ページ) 】

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