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山内神社
やまうちじんじゃ
高知県高知市鷹匠町2−4−65

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旧別格官幣社 |
高知城の南、東西に流れる鏡川の北岸に鎮座。
明治四年、最後の藩主(十六代)山内豊範公が、
三代忠豊公から十四代豊惇公までを、当地に社殿を造って祀った。
昭和七年、歴代藩主を藤並神社に遷座して、
十五代藩主山内豊信公(容堂公)と豊範公を祀り、山内神社となった。
昭和二十年、藤並神社・山内神社が戦火により焼失したため、
昭和四十五年、社殿を再建し、両社を併せ、現在に至る。
ということで、比較的新しい神社である。
山内容堂といえば、坂本龍馬の議を入れ、
将軍慶喜に大政奉還を建白し、王政復古を実現。
僕は柳ジョージの「酔って候」を思い出すが。
境内入口が東西にあり、神門も東西にある。
そのためか、僕が参拝している時にも、
境内を右から左に通って行く人たちが多い。
神門をくぐり、社殿前で一礼し、逆の神門へ抜けていく。
通勤という日常行為の中に、参拝が自然に組み込まれているのだ。
東参道には亀石と呼ばれる石がある。
社殿の東隣に、境内社が一つある。
熊野・春日・住吉の合祀社で、平成二年に高知城から移したもの。
西入口 ![]() | 東入口 ![]() |
西神門 ![]() | 東神門 ![]() |
境内 |
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社殿 ![]() | 社殿 ![]() |
東参道 ![]() | 本殿 ![]() | 熊野・春日・住吉 ![]() |
亀石 ![]() | 山内家家紋 ![]() |
明治四年(一八七一)廃藩置県の年の三月、最後の藩主で最初の知藩事山内豊範公が祖霊を祀るた
め、藤並神社の御旅所のあった現在地に社殿を造り、三代忠豊公より十四代豊惇公の霊を祀られた。 昭和七年(一九三三)十五代豊信公・十六代豊範公の幕末維新における功績を顕彰するための神 社を新たに造ることとなり、両公を除く歴代藩主の霊を藤並神社にうつして、新社殿建造工事に かかり、昭和九年四月落成。ここに「別格官幣社山内神社」が創建された。 昭和二十年、戦火により両神社とも焼失したため、戦後それぞれ仮宮を建て祭祀を続けた。昭和 四十五年、社殿を再建して、藤並神社と合併し、藩祖一豊公同夫人以下歴代藩主を合祀した。平成 二年七月、もと高知城内に在った熊野・春目・住吉の三社を境内に遷した。 −神社略記より− |
【 山内神社(印刷用ページ) 】
