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渭伊神社
いいじんじゃ
静岡県浜松市北区引佐町井伊谷1150
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式内社 遠江國引佐郡 渭伊神社 |
静岡県浜松市引佐町にある。
旧引佐町役場の西500mほどの井伊谷に鎮座。
神宮寺川が湾曲して流れる場所。
車道に面して参道入口の鳥居が、東向きに立つ。
参道を歩くと、突き当たりに境内。
境内には、木々が鬱蒼と茂り、
遊び場としては良い環境。
当日も、近くの園児達が遊んでいた。
木の実などを拾い集めて遊んでいる園児達に囲まれながらの撮影。
ただ、天気が良く、陽射しが強いため、
境内には、木陰が斑に落ちており、
撮影には不向きだった。
創祀年代は不詳。
近世までは、正八幡宮と呼ばれていた神社で、
祭神も八幡の神々。
当社の近くに、小掘遠州の庭で有名な名勝・龍潭寺がある。
当社は、元、その龍潭寺境内にあったらしく、
南北朝時代(一説に享保年間)に現在地へ遷座したというが、
真偽は不明。
三代実録に「貞観八年十二月二十六日授遠江国正六位上蟾渭神」とあり、
式内社・渭伊神社に比定されている古社で、
上代より井伊郷三十余村の総社であったという。
当社境内には幾つかの境内社がある。
まず、参道に天白社。
社殿の左手には、英霊社・稲荷社・祖霊社。
さらに、本殿周囲には、若宮八幡社、水神社、御鍬社、菅原社。
金山社、榊本稲荷社、モロード様伊豆社。
社号標 | 参道入口 | 天白社 |
境内 |
本殿 | 拝殿 |
稲荷・祖霊社 | 若宮八幡社、水神社、御鍬社、菅原社 |
榊本社 | 金山社 | モロード様伊豆社 |
渭伊神社
引佐町井伊谷字天白にあり境内二千五百三十
五坪老杉古桧鬱蒼として繁茂し北西南の三
方河水回りて(神宮寺川にして又宮川ともいう)
其風致最も秀拔なり由緒創立の年代由緒詳ならざれども 三代実録に貞観八年十二月二十六日授遠江 国正六位上蟾渭神 風土記に延喜式神名帳遠江国引佐郡渭 伊神社とあり又江州彦根城主井伊家祖先 備中守共保寛弘七年其神井より出生以 来産土神として信仰厚し 渭伊神社は往昔今の龍潭寺境内にあり しも南北兵乱の時今の地に移せりという 往昔より渭伊二十七郷の大産土神なり 旧地頭近藤氏の崇敬厚し −境内案内より− |
当社本殿の後方の丘は、薬師山とも呼ばれ、
また、天白磐座遺跡として有名な史跡。
参拝中にも観光客と思われるグループが丘を登っていた。
丘には、まっすぐの木立がはえ揃い、
いくつもの巨石が転がっている。
頂上付近には、古代の祭祀場と考えられる巨石磐座もあり、
当社祭祀に関連する宗教施設と考えられている。
気持ちが良かったので、何度か磐座周辺をさまよい、
神宮寺川の水を眺めていたら、
いつのまにか園児達は居なくなっていた。
薬師山の天白磐座 |
巨石 | 巨石 |
天白磐座から本殿 |
天白磐座遺跡
県指定史跡[平成四年三月十七日] 『延喜式』にその名を載せる渭伊 神社本殿の背後にある薬師山の頂上 に位置し、約四〇メートル四方にわたって 群在する巨石群を神の依代[磐座] として我国屈指の規模をもつ古代祭 祀遺跡です。 平成元年[一九九七]夏に実施さ れた発掘調査により四世紀後葉[古 墳時代前期]から平安時代に至る長 期間、連綿と続いた祭祀場であった ことが明らかとなりました。 とくに高さ七メートルにおよぶ最大の磐 座の西壁直下は、古墳時代の祭祀場 として限定され、多量の手こね土器 や鉄鉾や滑石製勾玉などの祭祀に用 いられた遺物が出土しました。 また、十二世紀末には末法思想に よる埋経のための経塚が巨岩群の中 央に営まれ、渥美製の経筒外容器が 和鏡と共に出土しています。 この遺跡は渭伊神社の創祀が古墳 時代前期までさかのぼることを語る とともに、古代人の精神や宗教観を 解明するうえに重要な文化財です。 −案内板より− |