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島御子神社
しまみこじんじゃ
長崎県対馬市豊玉町曽字陰在所11
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式内社 對馬嶋上縣郡 嶋大國魂神御子神社 |
長崎県対馬市にある。
上対馬の東側の曽浦の近く、
曽浦に注ぐ曽川の川沿いに境内がある。
境内は、林の中にあり、やや荒れた感じの神社だった。
境内入口には二基の鳥居が建ち、
鳥居脇の石(社号標)に、
かすかに「貞観式 延喜式社 村社 島大国魂XXX」とある。
創祀年代は不詳。由緒も不詳。
『對州神社誌』には「嶋之尊大明神」と記され、
式内社・嶋大國魂神御子神社の論社の一つ。
現在の祭神は大国主神だが、
社名から嶋大国魂御子神だと思われる。
社域 |
鳥居 | もう一つ鳥居 |
社号標 | |
拝殿 | 本殿 |
曽の島御子神社は、中世の文書にも「しま
のみこ」とあり、藩政時代を通じて「島之尊大明神」と呼
ばれてゐる。これは古い神名を伝へたものと見られ、そこ
で当社を「島御子神」とすることは何人も異存はない。し
かし式内の島大國魂御子神社とすることには積極的でない
人が多い。これは貞観十二年三月の授位の記事に、「嶋御
子神」とあるとことから、それに当社を当てるからであ
る。ところが延喜式には嶋御子神社といふのはない。そこ
で、これは式外古社といふことになり、嶋大國魂御子神と
別神と見るのである。 そこで三代実録の神位奉授の記事を検証すると、貞観十 二年(八七〇)三月五日丁巳、多久頭神、和多都美神等と 共に、嶋大國魂神、嶋御子神が載つてゐるが、嶋大國魂御 子神といふのはない。続日本後紀の承和四年(八三七)が、 対馬の神々に授位された初見であるが、それ以来の授位の 記事を調べても、嶋大國魂御子神なるものは載つてゐな い。さうなると神位を授かつたのは嶋御子神であつて、嶋 大國魂御子神ではないのである。それなのに延喜式には、 嶋大國魂御子神社が載つて、嶋御子神社はないのだから不 思議である。 そこで『対馬島誌』の編者が、「島御子は、島大國魂御 子も前名、若くは異名と推定し得べき理由あり、」と述べ てゐるやうに、これを同一神と見るべきである。さうなれ ば、嶋大國魂御子神社といふ式内社は、曽に祭られてゐる 島御子神社を措いてほかにない。 −『式内社調査報告』− |
【 島御子神社 (対馬)(印刷用ページ) 】