[HOME]  >  [神社記憶]  >  [関西地方]  >
メニューを表示する 表示用ページ


許波多神社
こはたじんじゃ
京都府宇治市木幡東中1  Zenrin Data Com Maps display !!


三つ巴

式内社 山城國宇治郡 許波多神社三座 並名神大 月次新嘗
旧郷社

御祭神
正哉吾勝々速日天忍穗耳尊
配祀 天照大御神 天津日子根命

京都府の宇治市にある。
JR奈良線・木幡駅の北200mほどの木幡東中に鎮座。
JR線の西側に西向きの境内があり、参道入口も西向き。

参道入口には「式内郷社許波多神社」と刻まれた社号標があり、
鳥居をくぐって、100mほど東へ進み、少し右へ曲がると境内入口。
ちょっと不自然に曲がる参道だが、境内入口の鳥居の正面に、
垣に囲まれて塚のようなものがあるためだと思う。
その垣の中に何が祀られているのか、御神木なのかはわからなかった。
ひょっとすると下記に記した、大海人皇子の柳を
当地へ遷座した際に、移植したものかもしれない。

その垣の正面にある鳥居をくぐって境内に入ると
左手に手水舎があり、正面に拝殿。
拝殿の後方、少し離れて垣に囲まれた本殿がある。
本殿は二棟並んだ流造。
向かって右手の本殿が少し大きいようだ。

現在は、許波多神社と称されているが、
『式内社調査報告』には木幡神社とある。

創祀年代は不詳。
社伝によると、皇極天皇の夢に告げがあり
藤原鎌足に詔して社殿を造営し、大化元年九月十日に奉遷したとある。

五ヶ庄にも同名社が存在し、ともに式内社・許波多神社に比定される古社。
「山代国風土記」逸文に
「宇治郡、木幡社祇社、名天忍穂長根命」とあり
「三代実録」には、貞観元年(859)正月二十七日、
従五位上の神階を授けられたとある。

もとは柳山に鎮座していたため、柳大明神とも称されていた。

壬申の乱に先だって近江から吉野へ向かった
大海人皇子が当社へ参拝し、鞭として使っていた柳の枝を
社頭に挿して戦勝を祈願し、その柳が繁茂したため
柳山と称するようになったという。

古社地柳山は、現在の五ヶ庄三番割。黄檗公園のあるあたり。
いつのころか、柳山から木幡南山の地に分祀され
さらに木幡東中に遷座したのが当社であるという。

一説には、延喜式に記されている許波多神社三座の中の
二座が木幡の当社に、一座が五ヶ庄の社に分けられたとするが、
五ヶ庄の社は、明治八年まで柳山の地にあったことを考えると
五ヶ庄の社が許波多神社の後継社で、
木幡の当社は分祀社と考えた方が自然かもしれない。

明治四十一年、木幡北部に祀られていた田中神社を相殿に祀る。

本殿が二棟並んでいる理由は調べていないのだが、
ひょっとすると、許波多神社三座の中の二座が当社に祀られているということか?

あるいは、本殿の垣の前、左右に灯籠があり、
右の灯籠には柳大明神、左の灯籠には田中大明神と刻まれているので
向かって右の大きな社殿が許波多神社、左が田中神社なのか?

境内左手に境内社がいくつか並んでいる。
一番左手には、毘沙門天の石碑。
春日神社、天照皇大神宮、八幡宮と並び、
一番右手には、愛宕・稲荷・市杵島神社が祀られている。


参道入口

境内入口

境内入口鳥居前に何かある

境内

拝殿

社殿

社殿

本殿後方から、左が大きい

本殿二棟

境内社
毘沙門天石碑、春日神社、天照皇大神宮、八幡宮、
愛宕・稲荷・市杵島神社

境内左奥のクスノキ


【 許波多神社 (宇治市木幡)(印刷用ページ) 】

ボーダー




no index