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天都賀佐比古神社
あまつかさひこじんじゃ
徳島県美馬市美馬町轟32
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式内社 阿波國美馬郡 天都賀佐毘古神社 |
徳島県美馬市美馬町にある。
吉野川の南岸を走る192号線から、北上。
美馬中央橋を渡って、吉野川の北岸へ。
そのまま真直ぐ進んで突き当たりの交差点の側に、
田畑の中に、こんもりとした森がある。
それが境内。
参拝は、GW。
社域の森の前には、赤い鯉のぼりが泳ぎ。
野焼きの煙の中に霞んで見える。
境内は南向き。入口の鳥居の横に、
「延喜式内社 天都賀佐比古神社」と刻まれた社号標。
境内の由緒記の石碑には、社号は「天津賀佐彦神社」とあり、
『平成祭データ』では、「天都賀佐彦神社」。
少し違うが、たいした違いではないのだろう。
境内に入ると、正面に拝殿。
境内の左手に、境内社の若宮神社。
境内の木の根の洞にも、何かが祀られている様子。
当社の創建は不詳。
轟の地にあるためか、轟大明神、轟宮とも呼ばれる神社。
もとは、当地の西方200mほどの高畑にあったという。
近くには「段の塚穴」と呼ばれる古墳や
白鳳期の建立という立光廃寺の遺跡などがあり、
古代から、美馬郡の中心として開けていた場所。
祭神は、風神である級長津彦命と級長津姫命。
轟という鎮座地に相応しい神だといえるが、
一説には、天都賀佐比古の「賀佐比古」が、
「風彦」の意味であるとする後世の付会であるといい、
建貝児王命を祭神とする資料もある。
風の神なので、風神としての神威を伝える伝承も残っている。
一つは、この社の前を乗馬のまま横切ると吹き飛ばされるといい、
また、吉野川を西へ遡る船は、帆をかけたまま通ると転覆するとも。
そのため、境内・社殿は南の吉野川を向いているが、
御神体は、北向きに安置されているという。
本殿の屋根に卍の紋が付けられていた。
社域 |
境内入口 | 社号標 | 由緒石碑 |
社殿 |
境内左の若宮 | 本殿 | 境内の木 |
神社由来記
由 緒 当社は西暦六世紀以前に創建されたものと 思われ、古墳時代後期、美馬郡境のあった大村郷 (郡里)一帯の住民及び郡領が奉仕していた神を祭 り風災を鎮め五穀豊穣を祈った由緒ある神社で その神威顕著な所から延喜時代式内社に列せられ その後郡里の総氏神として盛大な祭が行われてい た古社である −境内の石碑より(一部類推なのだ)− |