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賀羅加波神社
からかわじんじゃ
広島県三原市中之町2174−2
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式内社 備後國御調郡 加羅加波神社 |
広島県三原市にある。
JR三原駅の北東3Kmほどの中之町に鎮座。
和久原川に沿って走る55号線を進み、少し北西へ入った場所。
地図で確認すると、近くに干川公民館がある。
参拝は、年末の休日。
境内では、迎春準備が整い、
初詣と染められた旗が並んでいた。
ところで、当社を参拝した記憶に「鳥居」がない。
撮影した写真にも残っていない。
55号線から200mほどの参道が延びており、
社前まで車で進んできたので、見落としたのだろうか。
創祀年代は不詳。
当社社号「賀羅加波」は「からかわ」と読むが、
社号の由来には、二説ある。
一つは、社前を流れる和久原川(湧原川)は
扇状地地形を形成し、当社辺りで伏流するため、
干川(からかわ)と呼ばれてきた。
降水量の少ない瀬戸内沿岸にあって、貴重な水を神格化し
干川(からかわ)から、賀羅加波となったとする説。
もう一つは、朝鮮半島からの帰化人に起因するとする説。
半島の加羅国に関係があるのかどうか。
祭神は、『式内社調査報告』では、
天太玉命・天宇豆売命・瀬織津比売命の三柱。
広島県神社誌には、天照大御神・素盞嗚尊・豊受比売命を祭神とし、
上記三柱の神々は、相殿に祀られていると記されている。
また、太玉を大王と誤記し、賀羅加波大王を祀るとする説や、
大山祇命を祀るとする説などもある。
社号の由来に関しても、祭神に関しても
分からない事が多い神社だが、
式内社・加羅加波神社であるということに関しては異説はない。
当社の特殊神事として、飛射神事というものがあった。
正月に梅の木で弓を作り、鬼門艮神へ矢を放ち、
次いで鬼の字を書いた的を射る神事だが、
現在は中断されているらしい。
干川に関する伝承がある。
昔、一人の僧が川の近くの民家へ立ち寄り水を乞うた。
その家の老婆は、労を惜しみ、これを断った。
そこで、その僧は、川のほとりにいき、
流れている川水を地底に流れるようにしたため
干川となったといい、その僧は弘法大師であったという。
社殿の左手に、境内社が3つ。
右から、宿里神社、太久良神社と、もう一つはわからない。
境内 |
境内社 | 社殿 |
拝殿 | 本殿 |
−境内案内板より− |