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栴谷神社
せんたにじんじゃ
富山県砺波市井栗谷6585

いもが家に いくりの杜の藤の花 今こむ春も 常かくし見む
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富山県砺波市にある。
砺波駅の南東9Kmほどの井栗谷に鎮座。
17号線から25号線に入り、雄神大橋を渡って庄川を越え、
井栗谷トンネルを抜けたところ、25号線の東側に境内がある。
境内入口は南西向き。
鳥居をくぐり境内に入ると左手に手水舎。
右手に社号標と万葉歌碑がある。当社は万葉集に
「いもが家に いくりの杜の藤の花 今こむ春も 常かくし見む」と歌われた伊久里の杜。
ただし、伊久里の杜の万葉和歌については
越中説の他に、大和説、越後説などがあり定かではないらしい。
参道を進むと参道右手に綽如杉(しゃくにゅすぎ)。
明徳元年(1390)井波町瑞泉寺を開いた綽如上人の手植えの杉と伝えられている。
参道正面には瓦葺流造の拝殿があり、拝殿の扁額には「八幡宮 神明宮」とある。
本殿は拝殿の後方の覆屋の中。参拝した時には前面の扉が開けられていた。
『富山県神社誌』によると、
明治四十二年、神明宮と八幡宮を合祀して栴谷神社と改称した神社。
正徳二年(1712)の氏神帳には
「八幡支配 此歩数貮百歩程 神明支配 此歩数三百歩程」とあるらしい。
では、神明宮と八幡宮の元の場所はどこだったのか、
「伊久里の杜」と呼ばれたのは、どちらの社だったのか、
など、いろいろと疑問はあるが、詳細は調べていない。
「伊久里の杜」の候補地である大和説(穴栗神社)と
越後説(伊久礼神社)には参拝していたので、越中説の当社にも参拝してみた。
参拝を終え、万葉集にも歌われた藤の花を探したが見当たらず。
参拝は10月末で、植物には詳しくないので見逃したのだろう。
境内の案内では「古くから藤の花の名称所として親しまれている」とあり、
『富山県神社誌』にも「大藤」があると記されている。
社頭 |
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境内入口の鳥居 ![]() | 手水舎 ![]() |
境内 |
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社殿と綽如杉 |
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拝殿 ![]() | 扁額 ![]() |
社殿 ![]() | 本殿 ![]() |
社号標と万葉歌碑 |
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【 栴谷神社 (砺波市)(印刷用ページ) 】
