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旦飯野神社
あさいのじんじゃ
新潟県新潟市秋葉区朝日535  Zenrin Data Com Maps display !!

式内社 越後國蒲原郡 旦飯野神社
旧村社

御祭神
誉田別命
合祀
建御名方命 事代主命 倉稲魂命 石動彦命 大山祇命

新潟県新潟市にある。
信越本線古津駅の東、朝日に鎮座。

普談寺方面へ向う川沿いの道から、少し路地を入った所。
わかりにくい場所にあり、入口も狭い。
が、その奥は、わりと広く、丘の全体が境内になっている。

階段を登ると八幡造の本殿がある。
はずだが、よくわからない。覆殿の中にあるのかもしれない。

創祀年代は不詳。

元は、諏訪神社と称していた神社だが、
明治22年、字若宮にあった旦飯野神社を合祀して、旦飯野神社と名を変えた。
合祀される以前の旦飯野神社は、元、若宮八幡宮と称していた。
なかなか、複雑な感じだ。

式内社・旦飯野神社の論社とされる若宮八幡宮の古社地は、
現在地の東300mほどの普談寺あたりだったらしい。

というわけで、旦飯野神社としての資料・伝承は不明なのだ。

拝殿の額には、「諏訪神社」「旦飯野神社」と併記されているのは、
諏訪神社に旦飯野神社が合祀された結果。


入口の鳥居

社号標

参道鳥居

参道階段

境内

社殿

社殿

扁額

本殿

境内社

旦飯野神社由緒
当社は延喜式式内社で越後五十六座の中の一つである。 中世には若宮八幡大菩薩とも称され古来有名な大 社で地方信仰の中心となし境内地約二千四百坪は往古 より守護不入の地として領主地頭も検知することもなかった。 境内には槻桜の樹多く中には高さ数十丈もあり夕陽には その影が東方四キロ米以上にも及んだと云われ、一本枝か ら臼が三十三個とれたという大樹もあったそうである。しかし 数百年の間に戦乱火災等で衰頽し社殿も小さな祠と なり建替えの資力もなく明治二十二年十一月五日同じ朝 日地内の諏訪神社に合併し社名を旦飯野神社と改 称した。明治三十二年社殿改築、明治四十一年村内の稲 荷神社、石動神社、下諏訪神社、十二神社を合併した。 昭和五年村社に列せられる。
  延喜式式内社とは延喜五年西暦九百五年醍 醐天皇の勅命により全国より神威の高い神社を 国司の上申中より選び神祇式神名帳に登録され 国家より祈年祭等に幣帛を奉呈されることが 義務づけられた神社である。
 祭神 誉田別命建御名方命事代主命
倉稲魂命・石動彦命・大山祇命
 所在地 新津市大字朝日五三五番地
 例祭日 九月十九日

−境内入口に案内板−



【 旦飯野神社 (朝日)(印刷用ページ) 】

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