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草部吉見神社
くさかべよしみじんじゃ
熊本県阿蘇郡高森町草部2175
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旧郷社
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阿蘇から高千穂へぬける325号線、
草部付近に来ると、神社への案内があるので、
そこから脇道へ入り案内に従って走ると社前に到着する。
立地からも分かるとおり、古代の交通の要衝に位置し、
阿蘇外輪山の端に鎮座している。
社名の草部は「クサカベ」と読む。
祭神・日子八井命は、神武東征の時、
日向高千穂より草部に入られ、しばらく川走の窟に住まわれた。
後、今の草部吉見神社の所にあった池を干し宮居を定められた。
土賊を平らげ、筑後国を鎮護し、皇業を翼賛した。
また、神八井命の御子・健磐龍命(阿蘇大神)が下向の時
之を迎えて、力を合わせて国土を開拓したという。
当地に住まわれた時、襲ってきた大蛇を斬られ、
焼かれた大蛇が血を流しながら逃げて行った所が血引原(地引原)。
焼かれた所を灰原と言う。
主祭神は、神武天皇の御子・日子八井命。
ただし「日本の神々」では、主祭神は神八井耳命となっている。
『古事記』では、神武天皇の御子を、
日子八井命・神八井耳命・神沼河耳命の三柱としているが、
『日本書紀』では、日子八井命の名は無く、
『旧事本紀』では、日子八井命は神八井耳命の御子となっている。
ちなみに、末弟の神沼河耳命が綏靖天皇である。
明治六年郷社に列し、明治十年阿蘇神社の摂社となった。
道路に面した鳥居から下りの長い階段を下りると、
正面に社殿がある。「日本三大下り宮」の一つであるらしい。
階段は、新しく整備されたようだが、あいにくの雨で、
ツルツルと滑って、少々難儀だった。
だが、参道両脇には背の高い樹木が茂り、
違う世界へ「下りて行く」感覚は、妙な雰囲気だった。
ちなみに、案内板によると他の「日本三大下り宮」は
宮崎の鵜戸神宮、群馬の貫前神社らしい。
境内は広く、自然も多いが、
やはり下りて行く参道階段が印象的だ。
神紋は、阿蘇神社同様の「鷹の羽」だが、
五枚の鷹の羽を用いた紋章となっている。
本殿には美しい彫刻が施されているのだが、
写真ではうまく伝わらないようだ。
鳥居 |
下りの参道 | 社殿から参道 |
社殿 |
本殿 | 拝殿 |
(御神紋) 草部吉見神社
当社は 熊本県阿蘇郡高森町宮原に鎮座し、旧社格は郷社。 主祭神は日子八井命で、ほか健磐龍命、阿蘇都比咩命など十二神を併せまつ る。 日子八井命は、神武天皇の六十九年、東征の時、日向高千穂より草部に入ら れ、しばらく川走の窟(イワヤ)に住まわれたのち、今の草部吉見神社の所に あつた池を干し宮居を定められた、このとき襲ってきた大蛇を斬られ焼かれた、 大蛇が血を流しながら逃げて行つた所を血引原(現地引原)、焼かれた所を灰 原と言い、今もこの地名が残つている。 創建は阿蘇神社に先立つこと六年と言われる。 宮居を定められたその翌年、健磐龍命(神八井命の御子・阿蘇大神とも言う) が下向して来られると迎え、請われて姫を健磐龍命の妃になされた。この姫が 阿蘇都比咩であり、日子八井命は健磐龍命と力を併せ、内には九州鎮護、外 には東征という朝廷の国土統一事業の一翼を担われた。 天正年間には戦国大名化した豊後の大友氏が肥後に侵攻し、社領は略奪され権 大宮司家は一時祠官家を離れて村民の中に身を潜めた、寛政五年(1793) に祠官家が復興され、文化七年(1810)には祝部(ハフリ)家が再興され た。 社殿は、弘治二年(1556)に甲斐左近将親成によって造営され、のち 傷みが激しくなつたので明暦二年(1656)に里人らによって現在の社殿に 補修された旨、明和九年(1772)の棟札に記録が残る。以後明治二十五年 までに十八回修理されたと伝えられる、構造、彫刻など技巧を凝らした造りと なっている。 社地は侵食が進んだ南外輪山の舌状台地の中央に位置し、社殿が鳥居より下 にあるいわゆる下り宮と呼ばれる珍しい配置で、鵜戸神社(宮崎県日南市) 貫前神社(群馬県富岡市)とともに日本三大下り宮の一つに数えられている。 社殿下の吉ノ池(八功徳水とも言う)と呼ばれる湧水池があり、境内地には 年経た杉が繁茂し、参拝する者を厳粛な気分にさせる雰囲気が漂っている。 社殿の東方300mばかりのところに、石の玉垣で囲まれた日子八井命の御 神陵(ミササキ)がある(陵墓参考地)。 摂社として、草部吉見神社から1・5Kmばかり西の菅道(スゲノサコ)に 日子八井命の御子天彦命と天彦命の妃比咩命をまつる三郎神社がある。 例大祭は、七月三十一日と十月十七日の夏、秋の2回で、七月三十一には地 引原の御仮屋まで御輿の御幸があるほか、社殿前の神楽殿で岩戸系の神楽三十 三座が奉納される。十月十七日には社殿横の広場で大神御手相撲が奉納される。 −境内案内より− |