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國津神社
くにつじんじゃ
長崎県壱岐市郷ノ浦町渡良浦1148
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式内社 壹岐嶋石田郡 國津神社 |
壱岐の南西の港、渡良浦にある。
郷ノ浦港から西へ3Kmほど。
道路を走っていると、渡良浦の町に入った所に鳥居と燈籠がある。
渡良浦の氏神で、渡良浦で「神社」といえば、
まず当社を教えてくれる。
延宝四年(1676)、式内社調査の際、
平戸藩の国学者橘三喜は、当社を式内・国津神社に比定した。
『式内社調査報告』では、津之宮神社を国津神社と考えている。
国府に近い津神社ということらしい。
同書では、当社を式内・物部布都神社であると論じている。
当社の舊号は、青波加大明神、あるいは荒波加大明神。
社記によれば、神功皇后の三韓征伐のおり、
渡良浦の鹿ノ辻(渡良浦を郷ノ浦の中間地点)に降臨し、
その後、矢櫃山に遷座された。
別名を「蓬宮」とも呼び、
蓬(よもぎ)は、壱岐の方言で、「フツ」というところから、
「フツ宮」=布都神社であるらしい。
青波加大明神は、武甕槌命の荒御魂で、
近海を航行する船は、帆を下げて敬意を表わしていた。
これを怠り、神罰を被る舟も多かったという。
郷ノ浦から車を走らせていると、
突然、道路に鳥居と燈籠が立っている。
往時は、かなり規模の大きな神社だったようだ。
鳥居 |
渡良浦に入ると昔の港町の光景。道路は狭い。
階段を上ると、境内がある。
ちょっと変った趣の拝殿には、三星の紋が付いていた。
拝殿の後ろ、一段高く垣に囲まれた本殿がある。
境内の左手、林の中に、いくつかの祠が祀られていた。
『式内社調査報告』記載の境内社は、
天道社(石祠:素盞嗚尊)、地神(石祠:埴安命)、今社(三富源三郎)。
境内入口 | 鳥居 |
階段上に境内 |
社殿 | 社殿 |
本殿 | 本殿 |
境内社 |
国津神社(荒波加大明神) 村社 [所在地] 郷ノ浦町渡良南触字宮ノ浦 [祭神] 足名槌命、手名槌命、奇稲田姫命 [由緒] 旧渡良村の氏神であって壱岐二四座の 一つである。神功皇后が三韓 征伐の折、当村の鹿ノ辻に立 ち寄られ霊験があって神殿を 造った。のち、当地に造営し たという。明治の神社改制ま では祠官二名を置いていて (川瀬氏、三富氏)、国主や藩 主の崇敬も篤く例祭日には代 理が必らず参拝し、たくさん の献上があっていた。明治四 ○年には神饌幣帛料供進神社に指定されている。 −『郷ノ浦町史』− |
【 国津神社 (壱岐)(印刷用ページ) 】