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相生神社
あいをいじんじゃ
三重県多気郡多気町兄国25
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式内社 伊勢國多氣郡 大分神社 |
三重県の多気町にある。
紀勢本線の多気駅から東へ1Kmほどの兄国(えくに)に鎮座。
421号線を進むと、421号線の北側に社域の杜が見える。
421号線に「相生神社」と刻まれた社号標が立っており、参道を進むと鳥居。
境内は421号線と櫛田川に挟まれた場所にあり、境内の向きは南向き。
杜の入口にも鳥居が立っており、鳥居の前には砂利を敷き詰めた駐車スペースがある。
参拝は3月の雨の朝。
当社に到着した時には土砂降りだったため、車の中でしばらく寝て、
小降りになるのを待っていた。
入口の鳥居をくぐると砂利の境内。左手に手水舎があり、正面に社殿。
拝殿の前、右手には「皇大神宮遥拝所」と刻まれた石柱が立っている。
境内右手に数本の木があり、木の根もとには小さな祠が祀られていた。
拝殿内に入ると、左手に氏子中の戦死者を祀る若宮社。
正面に垣に囲まれた白い神明造の本殿があるが、
本殿までの空間に屋根が設置されていた。
創祀年代は不詳。
兄国村の創立に際し、天忍穗耳命を産土神として奉祭したのが始まりという。
江戸時代には八王子と称し、明治初年に八柱神社と改称。
明治四十一年二月二十四日、菅原神社をはじめ二十三社を当社に合祀し相生神社と改めた。
のち、大正八年二月七日、神饌幣帛料供進社に指定された。
式内社・大分神社の所在地に関して、
『伊勢式社案内記』には「兄国村黒田山ノ麓、大還ニ清水アリ、是ヲ水分ト云フ」とあり、
『神風徴古録』では「大水神社、兄国黒田山」、『古屋草紙』では「兄国水分神社亡社黒田山」とあるらしく、
『伊勢式内神社検録』では、当社が大分神社の遺するところとされている。
かつて、多気駅西側の河田地区と、兄国地区の間に、大分という地があったようで、
大分神社は、その辺りに鎮座していたと考えられており、
多気郡合祀濟神社明細帳には「多気郡兄国村字バンハ」に無格社・大分神社が載っているが、
その大分神社は、明治四十年十一月三十日、当社に合祀されている。
参拝時に確認できなかったが、『三重県神社誌』によると当社の神紋は「左三巴」。
三つ巴紋の場合、右・左の別は、頭が右回転が「右」とするもの、
尾が右に流れているものが「右」とするものなど、書物によりまちまちなので、
正確な図案はわからないけど。
田園の中の社域 |
社号標と鳥居 | 鳥居から社域 |
社頭 |
境内入口 | 境内 |
拝殿内部 | 左手に若宮社 |
境内 |
拝殿 | 本殿 |