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惠曇神社
えともじんじゃ
島根県松江市鹿島町恵曇374

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式内社 出雲國秋鹿郡 惠曇神社 |
八束郡鹿島町(今は松江市)の西。漁港の近くにある。
二つある惠曇神社の一つ。
創祀年代は不詳。
鎮座地名から江角大明神とも称されていた。
式内社・惠曇神社の論社で、出雲国風土記記載の神社。
ただし風土記には「恵杼毛社」と「恵曇海邊社」が記されており
当社は「恵曇海邊社」であると思われるため、
「恵杼毛社」、つまり式内社・惠曇神社であることに疑問もある。
江戸時代には、本郷の惠曇神社と式内社に関する論争もあったらしい。
祭神・磐坂日子命は素盞嗚尊の御子神で、
当地を治めていた地方神。
海に近いため、佐侘大社の神在祭に
佐陀の浦に集い給う神々は、まず当社で休息するという。
明治五年、式内社・惠曇神社であると判断され郷社に列した。
境内に拝殿らしき社殿が二つあった。
向かって右側の拝殿は、当社の拝殿のはずで、後方に本殿がある。
左側の拝殿には後方に本殿がないので、中に納まっているのかもしれない。
境内社に若宮神社があるらしいので、左の拝殿が若宮神社なのかもしれないが、
どちらの社殿にも「惠曇神社」と額書がある。
風土記には、「恵曇海邊社」の次に「同海邊社」と記されており、
恵曇海邊社(当社)と同じ境内にあるこの社のことかもしれない。
鳥居 ![]() | 神門 ![]() |
二棟並んだ社殿 |
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左の社殿 ![]() | 拝殿 ![]() |
左の扁額 ![]() | 拝殿の扁額 ![]() |
本殿後方から ![]() | 本殿横から ![]() |
惠曇神社 旧郷社 八束郡鹿島町南 祭神 磐坂彦命 例祭 一○月九日 本殿 春日造 一坪余 境内 八三三坪 末社 七社 氏子 二五○戸 由緒沿革 祭神は須佐之男命の御子神で、此地の到られた時、吾宮は此処に造らんと宣うたと伝えている。延喜の制小社に列し後江角浦の産土神として崇敬をあつめた。明治五年郷社に列す。 −『神社名鑑』− |
【 恵曇神社 惠曇神社 (惠曇)(印刷用ページ) 】
