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惠曇神社
えともじんじゃ
島根県松江市鹿島町佐陀本郷655

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式内社 出雲國秋鹿郡 惠曇神社 |
松江から、37号線の北上し、
島根原発への道を西(惠曇町)へ。
旧鹿島町役場手前で、少し北へ入ったところ。
民家の間に入口があり、階段を上ると境内。
創祀年代は不詳。
出雲国風土記に「恵杼毛社」と記載されている神社で、
惠曇町にある惠曇神社と当社が、式内論社となっている。
江戸時代から論争があり、結果、県の判定により、
惠曇町惠曇神社が式内に比定され、郷社となった。
祭神・磐坂日子命は素盞嗚尊の御子神で、
当地を治めていた地方神。
本殿裏の丘に、祭神が腰かけたという巨石(座王さん)がある。
時間を気にして、神紋の確認を怠った。写真に写っているが亀甲の中が不明。
神紋は、式内社調査報告によると「二重亀甲に巴」
そういわれれば、そう見えるが、ひょっとすると中は二つ巴かもしれない。
参道入口 ![]() | 参道を横切る蛇 ![]() |
参道 |
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随身門 ![]() | 拝殿 ![]() |
座王さん ![]() | 本殿 ![]() |
出雲国風土記に「恵曇郷…磐坂日子命
国巡行坐時、至坐此処而詔…吾之宮者是処造事
者…」と詔うた恵曇神社は古の恵曇郷の本郷なる
畑垣(現今の鎮座地)にあることは古来の文献に
徴し歴然たることで今の恵曇町にある恵曇神社は
風土記記載の「恵曇海辺社」であることは明らか
である。 然るに元禄年間以来、江角浦神職から恵曇神社は 我が江角のものが正しいとして永年に亘り論争に 及び、結果遂に明治の当初元松江縣に於てこ の恵曇海辺社が延喜式所載の恵曇神社なりと断じ 仝五年郷社にさへ列したのは、歴史を地理に全く 不明の者の所為であって、今日から考えると誠に 遺憾の至りである。 明治四十五年五月神饌幣帛料供進神社に指定。棟 札は寛文五年より昭和四十三年までの本社建立及 び修復の記文あるもの十四枚あり。 −『神国島根』− |
【 恵曇神社 惠曇神社 (本郷) 】
