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国分寺霹靂神社
こくぶんじかんたけじんじゃ
島根県浜田市国分町1905−3
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島根県浜田市にある。
下府駅の北東2Kmどの国分に鎮座。
駅から9号線を北上し、国分で西へ入る。
ちょっと道が分かりにくいのだが、国分自治会館の横の小道の奥に、
境内入口の参道がある。
参道の中腹に、鳥居と案内板。
木々に囲まれて暗い参道階段を上ると、
途中に変った材質の狛犬。焼き物のような感じ。
さらに参道を登ると境内。
正面に拝殿があり、後方に流造の本殿。
参拝時に、拝殿内でお祓いが行われていたので、
邪魔しないように参拝。
最近は、音を立てずに自由に拍手が打てるようになったのだ。
「霹靂」と書いて「かんたけ」と読むらしい。
創祀年代は不詳。
式内社・國分寺霹靂神社の論社の一つで、
社伝によると、仁万に石見国分寺が創立された時に、
その守護神として創祀されたという。
その後、国府が浜田へ移動するに伴い、
国分寺とともに遷座。
「着」という地に祀られていたが、
現在の社地は、「心吉」というらしい。
近くに国分寺跡の金蔵寺や国分尼寺跡が残っているが、
国分尼寺跡は、台風のためか、老朽化のためか、廃屋状態。
建物の周りにロープが張られ、「危険立入り禁止」となっていた。
本殿と拝殿に、輪違いの紋が付けられていた。
拝殿の屋根には、輪違いの周囲に丸が付けられていたが、
本殿にはなかったので、輪違いのみの図案を掲載。
『神国島根』には、金輪紋と書かれていた。
替紋として五三の桐紋も使われるらしい。
境内入口 |
狛犬 | 参道 | 狛犬 |
拝殿 | 社殿 |
本殿 | 境内から参道 |
近くにある国分尼寺跡。廃屋のようになっていた。 |
記
由緒
国分寺霹靂神社は、石見国分寺が
当初邇摩郡仁万に創建されたとき
国分寺の守護神として鎮斎された
歴史上重要な神社である。 後に
国分寺が現在の金蔵寺の地に移され
たとき、その東方「着」を社地を定め、
ここに祀られたのが やがて国分地区
の氏神として崇敬されるにいたった
のである。明治五年村社に列格、
幣帛供進指定神社となり、明治四十一年
現在の心吉に社地を変更したもので
ある。現在の社殿は昭和十一年に改築され、 神殿の様式は流造である。 −参道案内板− |
【 国分寺霹靂神社 (浜田市) 】