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二所山田神社
にしょやまだじんじゃ
山口県周南市大字鹿野上2894

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中国自動車道鹿野I.C.の近くにある。
315号線から東へ入った場所。
道路脇に鳥居があり、参道を進むと境内入口の鳥居。
さらに進み、注連柱を越えて、階段を登ると社殿がある。
樹木の茂った境内で、神域である。
拝殿が二棟並んでいるが、右が本社、左は菅原神社。
拝殿右横には、「神代泉」という井戸(泉?)がある。
郷社であった二所神社と、村社であった山田神社を
明治四十年に合併し、現社名となった。出雲系と伊勢系の合体だ。
式内二俣神社の論社は、二所神社の方で、
弘長二年の『社録』に、「二所二俣神社」と記載されている。
ただし、論社は3つあって、信憑性は怪しい。
社伝によると、平安時代の昌泰二年(899)、渋川石船に鎮座。
鎌倉時代の弘長二年(1262)、亀竜山に遷座し、
江戸時代の延宝二年(1674)、宮床に遷されたらしい。
山田神社は、『文徳実録』元慶二年六月二十三日條に見える国史見在社で、
文治2年(1186)、大内弘盛によって、伊勢山田から勧請されたもの。
境内入口の右に、当社の関連新聞社「女子道社」がある。
明治39年に設立し、「女子道」という月刊新聞を発行しているが、
この「女子道社」では、おみくじを製造し全国の神社へ
出荷されており、業界トップのシェアを誇っている。
大きな神社では自社で製造しているが、
他の多くの神社のおみくじはほとんどここのものだ。
その代表者が二所山田神社の神主だ。
神紋は毛利家と同じ紋。大内家、毛利家の崇敬の厚い神社だった。
この日は、非常に天気が良く、あまりに良すぎて、
写真のコントラストが激しい。よって出来は最悪に近い。
それでも、長い参道と木々の茂った境内は良い。
拝殿裏から本殿後方を回って、ゆっくりと観賞できた。
社頭 |
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境内入口の鳥居 ![]() | 参道の鳥居 ![]() |
狛犬 ![]() | 参道 ![]() | 狛犬 ![]() |
境内 菅原神社(左)と本社拝殿 |
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本殿脇の境内社 ![]() | 本殿 ![]() | 拝殿右の神代泉 ![]() |
左の菅原神社拝殿 ![]() | 菅原神社本殿、奥に本社本殿 ![]() |
おみくじを製造している女子道社 |
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二所山田神社
このお宮は、明治40年(1907年)、二所大明神と山田権前社を合せて祭り、
お宮の名も二所山田神社としたものです。二所大明神は、今からおよそ1080年も前からあるお宮で、祭神は、八千矛神・ 大物主神の二神です。 山田権前社も、今からおよそ1100年前のお宮で、伊勢の国(三重県)山田郷よ り勧請したものといわれています。祭神は、天照大神と豊受大神の二神です。 このお宮の境内にある菅原神社の夏祭りは有名です。御神幸や網代に奉仕する裸坊、 大行司・小行司、大名行列、長持ち行列などが列をつくってにぎやかです。 中でも、子供の引く「ドロ」は、他の地方では見られない地方色豊かな行事です。 −境内案内− 二所山田神社の由緒
御祭神 天照大神・豊受大神、大国主神・八千矛神当神社は、明治四十年(一九〇七) 八月、二所大明神と山田権前社 を合せ祀り、社号を二所山田神 社と改称したお社で、旧郷社で あります。 二所大明神は、昌泰二年(八九九) に鎮座され、旧毛利藩時代は 御祈祷所の格に列せられてい ました。山田権前社は、天治 二年(千百弐五)伊勢国(三重 県)山田郷より御勧請申しあ げ建立されたお社であります。 従って二所山田神社は伊勢の 内宮。外宮の大神様と出雲大 社の神様を合せ祀ってあるわけです。 −同じく境内案内− |
