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宇留布神社
うるふじんじゃ
島根県松江市八雲町平原2038
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式内社 出雲國意宇郡 宇留布神社 |
松江市八雲町にある。24号線から53号線へ抜ける道(農道?)。
この道は交通量が少なく快適だ。
道路からは神社が見えない。
道路脇に地域の施設があり、駐車場も広い。
そこに車を止め、歩いて探す。
寺へ続く上り坂を登り、脇道を進むと、神社境内に出る。
ということで、裏から入り、いきなり本殿。
参拝後、階段を降り、鳥居をくぐると車道があった。
車道を道なりに進むと、駐車している施設に到着。
ようするに、施設横の車道を進むと、社前に出るのだ。
明治三十九年、平原村内にあった、
三島大明神、国原神社、金多大明神を合祀して
国原神社の社地に祀ったという神社。
ただし、『神国島根』では、国原神社=金多大明神であり、
現社地は、三島大明神の社地と記されている。
この中の三島大明神が、式内社・宇留布神社に比定されており、
社号を宇留布神社と改称したもの。
三島大明神と称された宇留布神社は、
出雲国風土記に「宇流布社」とある神社。
もとは、宇留山(120m)の中腹にあったという。
宇留山は別名室山と呼ばれ、神の居る山。
大和の三輪山と同じ、神奈備山であり、
三輪山と同種の以下の蛇体伝説がある。
容姿端麗で笛の上手が姫の所へ、毎夜、男が通い、姫は妊娠する。
父母が怪しんで、男の着物に麻糸を通した針を刺しておくよういいつける。
翌朝、その糸をたどると、折原の地に至り、男が蛇男であることがわかる。
平原川の鰻は、神の使いであり、取ってはならないと伝えられている。
また、旧地の前に小池があり、木花咲耶姫命がその水で
酣酒を造ったという。
合祀されている国原神社は、出雲国風土記記載の「国原社」。
金多大明神と称されていたが、明治になって村社となり、
社号も国原神社と戻したが、後、宇留布神社に合祀された。
また、無格社・伊勢宮、国原神社境内社の天満宮と若宮社も合祀された。
裏に寺がある。境内は広く、綺麗に整備されているようだ。
案内などはなく、地域の氏神的雰囲気。
境内社殿には、二重亀甲に剣花菱(剣花角)の紋が付けられており、
『神国島根』で、神紋であると記されているのだが、
『式内社調査報告』には、「亀甲に三階松」と記されている。
神紋が二つあるのか、『式内社調査報告』の誤記なのか分からないが
とりあえず未確認ながら三階松も掲載しておく。
鳥居 | 拝殿 |
拝殿 | 拝殿扁額 |
本殿 |
社日 | 境内社 |
現在の宇留布神社は、明治三十九年、当時の平
原村内に鎮座した、三島大名神・國原神社・金多大名神の
三社を、式内宇留布神社と認定された三島大明神を中心と
して、ただし社地はそれまでの國原神社の社地において合
祀して成ったものである。
−『式内社調査報告』− |