![]() |
|
|
美歎神社
みたにじんじゃ
鳥取県鳥取市国府町美歎字宮ノ前261

|
||
鳥取県鳥取市(旧国府町)にある。
鳥取駅の南西5Kmの美歎に鎮座。
鳥取駅から、宇倍神社を経由して南西に進み、
美歎川沿いに北東へ1Km。
川そばにこんもりとした丘の麓に鳥居が立つ。
狭い道に面して鳥居が立ち、階段上に境内。
階段を登った正面に、境内社・稲荷神社があり、
左を向けば本社社殿がある。社殿は東向き。
道が狭いので鳥居正面からの写真がとれず、
道路前の畑を迂回して、望遠で撮影。
創祀年代は不詳。
武王大明神とも称された神社。
当初、稲葉山山頂付近の奥三谷(=屋敷平)に鎮座し、
戸数4戸の氏神であったが、
人口の増加に伴い、部落ごと金内(=二度村)に遷座。
後、現在地宮の前に遷ったという。
承徳3年(1099)因幡国守として下向した平時範の
日記『時範記』に、2月26日惣社ならびに一宮・宇倍神社に参拝した後、
当社を含めた五社に巡拝したと記されている。
他の四社は、坂本社・三島社・賀露社・服部社。
祭神は、經津主命・武甕槌命。
下総・香取神宮、常陸・鹿島神宮からの勧請である。
合祀の市杵嶋姫命は、明治45年合祀の爆(たき)神社の祭神。
社殿には、輪宝のような紋が付いていたが、中央部は、亀甲の形。
見ようによっては亀のようにも見える。
すぐ側にある、因幡国一の宮・宇倍神社の神紋が亀なので、
その影響かと思われるが、詳細は不明。
形としては、やはり輪宝と思われるが・・・
社域 |
![]() |
境内 ![]() | 鳥居 ![]() | 社殿 ![]() |
社殿 ![]() | 境内 ![]() |
本殿 ![]() | ・稲荷神社 ![]() |
美歎神社の由緒
美歎神社の創建は詳細には分らないが、清和天皇貞観
十六年(八七四)「因幡国従五位下美歎神に従五位上を
授く」とあるから、少くも一千余年の昔から朝廷にも認
められていたものと思われる。 また承徳三年(一〇九五)
国主として因幡に下った平時範の日記にも「二月二十六
日惣社並びに宇倍神社に参拝にあと美歎神社を巡拝した
」と記されている。当然延喜式神名帳(九二七)にも記載
された「式内社」である。御祭神は經津主命、武甕槌命、市杵島姫命の三神で、 前二神は天照大御神の命を受け、大国主命と談判して、 国ゆずりの大業を達成された武勇の神であり、市杵島姫 命はもと美歎の空ケ滝に鎮座していた「滝神社」の祭神 (水の神)であったが、当社に合祀されたものである。 もともと美歎部落は、その昔因幡山の頂上付近(屋敷 鳴=奥三谷)にあり、 戸数四戸の氏神として祀られて いたが、人口がふえるに及び金内(屋敷谷=二度村)に 移転し、更に現在地(宮の前)に部落と共に奉遷された と云われている。 因に現在地の社殿の造営は正徳二年 (一七一二)と棟札に記されている。 最近昭和十二年(一九 三七)本殿、幣殿が、更に昭和六十二年(一九八七)社務 所、参籠所がそれぞれ改築された。 当社の例祭日は四月十一日であるが、お祷祭として前 日の十日夕刻より、御祭神が氏子のお祷宿に御降神にな り、氏子衆と共に一夜を歓談されることになっている。 −境内案内板− |
【 美歎神社 (鳥取市) 】
