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皷神社
つづみじんじゃ
岡山県岡山市北区上高田3628  Zenrin Data Com Maps display !!


舞鶴

式内社 備中國賀夜郡 鼓神社
旧県社

御祭神
高田媛命 吉備津彦命 樂樂森彦命 吉備武彦命 遣靈彦命
合祀
天穗日命 大名持命 太玉命

岡山県岡山市にある。
岡山駅から北西に20Kmほどの上高田に鎮座。
岡山空港に近い場所にあり、
日近川に沿って走る71号線から少し登った場所。

社号の「皷」は「鼓」の異体字。
『平成祭データ』では、「つづみ」となっているが
『式内社調査報告』では、「つつみ」。
社号標には「縣社 二宮皷神社」とあるように、
当社は備中国二宮にあたるらしい。

参道入口や境内は南東向き。
当社祭神から連想して、吉備中山を向いているような気がしたが、
地図で確認すると、もう少し東、岡山城方向を向いているようだ。
境内の向きには、特に意味は無いのかもしれない。

参拝は、大晦日十二月三十一日の午後。
そろそろ日が沈む頃で、境内は少し暗くなり始め、
静かに年越しを迎えようとしていた。

鳥居をくぐり、参道の階段を登ると神門。
神門の奥の境内には、鐘がぶら下がっていた。
神社境内の鐘も、除夜の鐘を打つのだろうか。
などと考えながらの参拝。
拝殿の後方、垣の中に見事なフォルムの本殿。
本殿には、無紋の黒布(黒幕)が巻かれていた。

創祀年代は不詳。

文徳天皇嘉祥四年正月、正六位上、
清和天皇貞観元年正月、従五位下に叙せられ、
式内社・鼓神社に比定されている古社。

祭神は、日本武尊の御子・武鼓王命とする説もあるが、
現在の祭神は、高田媛命・吉備津彦命・樂樂森彦命・吉備武彦命・遣靈彦命。
昔は五社殿が五箇所にあり、
鼓五社大明神と称していたというが、悉く焼失。
後醍醐天皇元徳年中、五社を一社として再興したという。

主祭神は高田媛命だが、祭神間の関係は以下の通り。
高田媛命は、吉備津彦命の后。
吉備武彦命は、吉備津彦命の御子。
樂樂森彦命は、当国の豪族であり、高田媛命の父。
遣靈彦命は、吉備津彦命の功臣。

当地に鬼の城があり、吉備武彦命に命じてこれを討ち、
その時、遣靈彦命が先鋒として活躍したという。

当社の神紋は、由緒にも記されている舞鶴。
通常の鶴丸紋とは微妙に違うのだが、小さな画像では
あまり違いがわからないので、当ページには鶴丸紋を載せている。

境内社がいくつか存在する。
参道途中の池に厳島宮と、池畔にもう一つ。
本殿の左手に、荒神社ともう一つ。
境内左手、宝塔の側に稲荷社があった。

当社の宝塔は、鎌倉末期の作。
高さ4.15mの花崗岩で出来た大きなもの。
国指定重要文化財に指定されている。


鳥居

参道と神門

境内

社殿

拝殿

本殿

宝塔と稲荷社

荒神社

宝塔

地神

厳島宮

境内社

鼓神社要覧

一、鎮座地、岡山市上高田三六二八。
一、由緒沿革(神紋舞鶴)当社は人皇第十代崇神天皇の御宇四道将軍大吉備津彦命、御功臣遣霊彦命、この県主楽楽森彦命、同御女にして将軍御后、高田姫命を奉齋せる神徳赫々たる名社であります。主神遣霊彦命は大吉備津彦命の脇將で功に依り大井庄内五ケ所を賜った。後神を崇め社を建て五神を合わせ祀った。延喜の制で小社に列し、祈年の国幣にあずかる。往時は五社殿あって鼓五社大明神と称した。寛永年間領主木下利当社領二石を寄進し祈願所となす。千原寛源勝延祖先の後を襲い木下藩主の命を受け鼓神社神主となり、明治五年神職令改正の時大井以北十九箇所村の祠掌を拝命せらる。同年社格制定の際当国二宮の称号並びに式内十八社中なるに村社に加えられしこと遺憾に堪えず。意を決し、単身上京し県社昇格に夙夜奔走し、神徳顕現、同十四年十月四日県社に列格さる。爾後同四十一年九月、庄田天神社を合祀、社殿を改築、設備充実、境内整備等壮麗なる様相となる。昭和二年神饌所を新築し、県社昇格五十年奉祝祭を盛大に執行す。昭和三十四年四月神社整備、本社屋根葺替正遷座奉祝祭齋行、昭和四十九年五月、拝殿屋根補修、神輿二基彩式、神幸用具新調、一千年奉祝祭執行、昭和六十二年五月拝殿瓦葺替、隋神門、荒神社拝殿屋根葺替、境内地、神池を整備し、鼓神社再建六百五十年祭を盛大に奉祝せり。
一、鼓神社宝塔。当社の境内に一基の宝塔がある。正しくは「正円阿闍梨石塔」と呼ばれる。花崗岩製全高四、一五米という稀に見る大きな宝塔で塔身の背面に「大勧進沙門正円、貞和二年十月二日造立之、大工妙阿」と三行に刻んだ銘があるので今から六百四十余年前貞和二年「千三百四十五年」葦守八幡宮の石鳥居を作った石工妙阿の作である。大勧進沙門正円は、鼓神社境内に建てられた神林寺の高僧で、鼓神社の社僧として神社の維持運営を司った。南北朝相争う頃、兵火に神社、寺は焼失を見、再建の為行脚托鉢、神社を再興、供養塔を寺跡に建立されたものである。建築史の時代区分からすれば鎌倉末期に入るべき名品、昭和三十四年国指定重要文化財となる。

−『平成祭データ』−



【 鼓神社 皷神社 (岡山市) 】

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