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天健金草神社
あまたけかなかやじんじゃ
島根県隠岐郡隠岐の島町都万砂子谷4245−3

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式内社 隠岐國隠地郡 天健金草神社 |
隠岐島後、隠岐の島町(旧都万村)にある。
相殿に都万村八幡宮を祀るが、近年まで、そちらが主だった感じ。
畑に面した丘の上にあり、境内は鬱蒼とした感じ。
式内社・天健金草神社に比定される古社。
大屋津姫命と抓津姫命は、素盞嗚尊の娘で、
五十猛命とともに樹種を全国に植え歩いた神々。
通常は三神で祀られる場合、五十猛命が入るのだが、当社には無い。
左殿に祀られていた鹽土翁が五十猛命なのだろうか。
抓津姫命は狭山涌泉に、大屋津姫命は大屋仙洞に鎮座していたらしい。
大屋仙洞は、西南西約2Kmにあるらしい。
狭山涌泉は、東北北約2Kmの抓津比賣命を祭神とする幣池神社だろうか。
社伝によると、延喜六年七月十三日、
隠岐国の坤方より猛風が吹き、天健金草神の託宣があった。
「新羅の賊船が北海にあり、我、彼の賊を追退せんがため大風を吹かせた」
その後、帆柱等が流れ着き、神威の大きさを知らしめた。
孝謙天皇天平勝宝七年、八幡原に社殿を建立。
あるいは、八幡原にあった社殿を現在の霊亀山に遷座したという。
創祀当時の社地・八幡原には礎石が残っているらしい。
瑞垣はブロックで組まれており、特に施錠もされていない。
本殿は八幡流造で、どっしりとして大きい。
昔は茅葺きだったことがわかる。
往時を想像しながら、しばし眺める。
社頭 ![]() | 参道 ![]() |
神門 ![]() | 参道 ![]() |
武内社 ![]() | 境内 ![]() |
社殿 |
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拝殿扁額 ![]() | 本殿 ![]() |
本殿 ![]() | 本殿 ![]() | 本殿 ![]() |
参道脇の牛突場 |
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天健金草神社由緒略記
−神門の額− |
