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阿利神社
ありじんじゃ
島根県出雲市塩冶町1686  Zenrin Data Com Maps display !!


二重亀甲に剣花菱

式内社 出雲國神門郡 阿利神社
旧無格社

御祭神
阿遅須枳高彦根命
右相殿
式内社 出雲國神門郡 同社坐加利比賣神社 加利比賣命
左相殿
幸神社 猿田比古命 宇豆賣命
境内社
彈正社 吾郷彈正武利命

JR出雲市駅の南西1Kmの町中にある。
184号線から東へ300mほど入った路地に面して鎮座。
コンクリートブロックでできた荒垣内に社殿があり、
横はちょっとした広場になっている。
周囲の道は、狭く入り組んでいて、車で探すのに手間取る。

創祀年代は不詳。
通称は、阿利の宮、有ノ宮。
「アリ」には「神聖な場所」という意味があるらしい。

式内社・阿利神社に比定されている古社。
さらに相殿には、式内社・同社坐加利比賣神社を祀っている。
「同社坐」とは、式内社・阿利神社境内にあるという意味だ。
なお、「加利比賣」は「阿利比賣」の誤記とする説もある。
その方が自然だと思う。

当社は、明治まで、現社地の北北西800m、
184号線を北上し、JRを越えた場所にある市民会館あたりにあったが、
明治十五年、吾郷家が私的に祀っていた彈正社境内に遷座した。

という事情により、当社には氏子が存在せず、
崇敬者によって存続している状態。
塩冶町の住民は、塩冶神社の氏子にあたるのだ。

源頼朝の八幡信仰により、出雲に八所の八幡宮が勧請された。
隣町の白枝に、建久七年に八幡宮が勧請され、周辺の住民は、
すべて八幡宮の氏子となったため、出雲風土記記載の、
比奈社、大山社、阿利社等の祭祀が断絶したらしい。

児童図書館西北隅に「延喜式内社 阿利神社跡」の石碑が建っているらしい。
行き忘れてしまった。後悔。


鳥居

拝殿

社頭

社号標

本殿

彈正社

阿利神社縁起
祭神 阿遅須枳高日子根命
合殿 加利比賣神社 加利比賣命を祀る(主祭神のお妃)
合殿 幸神社 猿田比古命 宇豆賣命を祀る
境内社 彈正社 吾郷彈正武利命(尼子の武将)吾郷家が勧請して祀る
 本神社は出雲国風土記(七三三年)に阿利社と 記してあり、また、延喜式神名帳(九二七年)には 阿利神社と明記してある、いわゆる式内社で 由緒古い神社であって古来より高西地区の崇敬神社 として拝崇されている。
 祭神、阿遅須枳高日子根命は天下造りたまいし大神大国主神)と胸形(九州福岡宗像大社)の 奥津宮の多紀理姫命との間に生れ給うた神であり 塩冶神社の祭神塩冶毘古能命の親神である。
 「アジ」は味が良いという意「スキ」は田を 耕す農耕器具「タカヒコ」は高く輝く太陽の子 「ネノミコト」は物事にねばり強い性格を有する 男神を意味する。
 出雲国風土記に「高岸の郷、郡家の東北二里なり。 所造天下大神の御子阿遅須枳高日子命、甚く 昼夜哭き坐しき。仍りて、その処に高屋を造りて 坐させ、即ち高椅を建てて登り降りして養し奉りき。 故高崖と云ふ。神亀三年に字を高岸と改む。」と あり高岸が高西となってものと伝へられている。
 本神社は、もと現在地より北々西約八〇〇米の 市民会館北西の地にありしが、明治十五年に故あって 現在地(吾郷家の先祖を祀る彈正社の境内)に 移遷され、戦後社地を吾郷家より寄進され現在に至る。
 旧社地を記念し「延喜式内社 阿利神社跡」の 石碑が児童図書館の西北隅に建立されている。
例大祭 九月一日
平成元年十一月二十三日 拝殿建築記念建立

−案内板より−



【 阿利神社 】

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