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賀茂神社
かもじんじゃ
島根県邑智郡邑南町阿須那3  Zenrin Data Com Maps display !!


三柏

旧郷社

御祭神
賀茂別雷命
合祀
菅原道眞 豊受姫命 神功皇后
應神天皇 玉依姫命 少名彦命
大年神 地主神 猿田彦之命 受母智神

相殿 式内社 石見國邑智郡 大原神社
武甕槌神 天津兒屋根命 齋主命 姫大神

島根県の邑南町にある。
宇都井駅の南4Kmほどの阿須那に鎮座。
出羽川に沿って走る車道から、少し西へ入った場所に、
南面して境内がある。
ちょうど出羽川がカーブして流れる場所。

鳥居をくぐり境内に入ると神門があり、
神門の奥に拝殿。
拝殿の後方階段を上ると、垣に囲まれて本殿が立っている。
本殿の破風の中心に、妙な力士像が座っており面白い。

創祀年代は不詳。

社伝によると、往昔、当社の社人が川で
鴨の白羽の矢が、柏の葉に乗って流れてきたのを拾い上げ、
山丘崎の榊の下に置いて、その夜、神のお告げがあり、
「柏の葉は国津神、白羽の矢は応化百王の守護である」
翌日、榊の元へ行ってみると、すでに矢も柏もなくなっていた。

社人は、国津神は大己貴命少名彦神
応化百王の守護神とは上賀茂神、つまり賀茂別雷神であると考え、
阿須那八ケの庄の氏神としたらしい。
阿須那八ケの庄とは、
阿須那・宇都井・戸河内・雪田・口羽・上田・都賀・大林のこと。

当社に合祀されている大原神社に関して。

武甕槌神等を祭神とする大原神社は、
一説に、延喜元年四月八日の勧請。

式内社・大原神社の論社の一つであるが、
上記伝承に出てくる社人は、
ひょっとすると、賀茂神を祀る以前に、
何らかの神を奉祀していたのではないだろうかと考えた場合、
それは、古くから相殿に祀られている大原神社ということになる。

つまり、本来、大原神社として祀られていた地が
京都上賀茂の社領となるにおよび、賀茂神へ信仰の主体を変化させたのかも。

そう考えると、国津神である柏葉の上に、
賀茂を象徴する矢が乗って流れてきたのは象徴的だ。
大原神社は本来、国津神であるのだろう。

境内の右手に、四つの境内社が並んでいる。
右手から、八幡宮・金刀比羅神社・剣神社・天満宮。
境内入口の鳥居の横に、もう一つ大きめの祠があるが名前は不明。
『神国島根』には、上記四社の他に恵比須神社とあるが、これだろうか。

神紋は、三つ柏。
社記伝承に因んだ紋なのだろう。
矢よりも柏を紋とした意味を深読みすると興味深いかも。


境内入口と境内社

神門

拝殿

拝殿後方階段の上に本殿

本殿

力士の彫刻

本殿

境内社

天満宮

剣神社

金刀比羅神社

八幡宮

 旧記に「往昔年号不詳社人四多原の川 辺に出て清き流れを詠み居る所へ矢筈に白き鴨の 尾羽をつけ柏の葉にのり川上より流れ来て岩根に かかる。社人不審に思い其のまま取上見るに新た なる矢なり。此の矢私にすべきに非ずとて山の丘 崎にあった榊の下に立ち置きて帰る。其夜神の御 告げあり。「汝あやしみ思う柏の葉は則ち国つ神な り。白羽の矢は応化の百王を守る神なり。此の山 の底つ岩根に斎き祀りて八ケの庄の氏神となせ よ」と。翌日その榊の下に行って見ると弓矢も柏 の葉も無し。社人思うに国つ神とは志都の岩屋に 坐す大己貴命少名彦命なり。又白羽の矢の応化 の百王を守る神とは、山城国愛宕郡に鎮座の上賀 茂神社なりと。是によりて社人遂に京都に上り上 賀茂神即ち賀茂別雷命を奉じて帰り祀る。又その 四多原の御丘崎に御崎大明神として大己貴命、少 名彦命を祀り、四多原山を改めて羽尾山と号す。 賀茂神社これより八ケの庄の氏神となる。川上 を名づけて出羽といい、川下を口羽と言える村此の 時より始まる。」とある。

−『神国島根』−



【 賀茂神社 (邑南町) 】

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