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賀茂那備神社
かもなびじんじゃ
島根県隠岐郡隠岐の島町加茂342
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隠岐島島後、加茂にある。
西郷港から南西に6Km。
深い入り江の最深部に位置する。
今は、定期航路便は西郷に入航するが、
昔は島後の表玄関として栄えた場所らしい。
式内社・賀茂那備神社に比定された古社で、
京都上賀茂の分霊を祀った神社。
孝謙天皇の御代、天平年中、玉安姫命が当港より隠岐に入り、
当地に祀ったとされている。
往古は、賀茂を本郷とし、西田、岸浜、箕浦、蛸木を枝郷として
それぞれの氏神である、切明社、厳島社、花生社、姫宮社を摂社としていたが
いまは、それぞれが独立しているようだ。
配祀の素盞鳴尊は、宇津宮という地にあった祠を合祀したもの。
明治四年に村社に列した。
町中にあるためか、境内には雑草がない。
社殿も良く手入れされている。
奥行き2Kmに及ぶ入江(賀茂裏)の最深部に位置しており、
海の神のような印象だが。
社頭と背後の山 |
鳥居 | 神門 |
拝殿 | 社殿 |
鳥居の神紋 | 本殿 | 社殿扁額 |
『賀茂大明神傳記』に、「家傳云、隠州賀
茂大明神之鎮座者、人皇四十六年代孝謙天皇之御宇天平年
中、玉安姫入到於隠岐國。時十二月三十日、繋於船今之賀
茂浦也。守彼神明來而造営於今之社地也。有鎮座而姫亦給
仕之久矣。終卒於賀茂之客館。無子孫而後里人信敬而祭
之。暦數代而後野津對馬守入渡而此浦領賀茂之邑、而即爲
神職矣。聊因有納貢之違失、而改家徒之筭。其徒其御遺
恨、故不俟其爭而渡丹後國、又不再歸矣。其子過三四年來
而續社職之家。於是家名全矣。今亦野津氏爲神職矣」云々とある。
−『式内社調査報告』− |
【 賀茂那備神社 】