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高嶋神社 遥拝所
ひろはたはちまんぐう
岡山県岡山市南区宮浦

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岡山県岡山市にある。
岡山駅の南東14Kmほどの宮浦に鎮座。
旭川に沿って南下し新岡山港、児島湾にかかる児島湾大橋を渡る。
宮浦に入って74号線を東へ進むと宮浦マリーナがあるが、
その南東の位置、74号線の南に境内がある。
境内入口は南側にあり、74号線を背にして鎮座。
といっても、当所は児島湾に浮かぶ高嶋に鎮座の高嶋神社の遥拝所なので
本殿は無く、社殿の後方に注連柱が立っているだけ。
以前は海際にあったが
破損が著しく、参拝困難になったため昭和六十三年頃に移転したらしい。
『式内社調査報告』に、式内社・田土浦坐神社の論社として
宮浦鎮座の竹島神社の名が載っており、宮浦をうろうろしている時に見つけた。
この竹島神社とは、高嶋の高嶋宮のことだと思うがどうだろう。
残念ながら高嶋には、船でしか行くことができず
定期便なども出ていないようなので、
当所で、沖の高嶋を遥拝した。
マリーナの脇に波止があり、その先端まで歩いて
可能な限り高嶋に近づいてみた。
青い空と青い海の間にある島はたしかに神々しい雰囲気。
しばらく潮風に吹かれながら眺めていた。
遥拝所の創建に関しては調査していない。
高嶋の高嶋神社は、神武天皇乙卯年三月の創建。
神武天皇が東征の時、当地に行宮を創設したのが始めであるという。
高嶋神社は、『古事記』記載の吉備の高島宮で
『古事記』では八年間、『日本書紀』には三年間、神武天皇が滞在したとある。
文部省より、その高嶋宮伝説地として指定されたている。
ただし、候補地は他にも幾つかあるようだ。
神階は従五位下で、
光仁天皇の宝亀三年、相殿に四柱の神を奉齋し
現在のような祭神となった。
社殿には、桐紋を染めた幕がかかっていた。
桐紋が当社の神紋だろうか。
岡山には桐紋を使用する神社が多いので、当社の神紋かどうかはわからない。
社頭 |
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社殿 ![]() | 社殿後方に高嶋を遥拝する注連柱 ![]() |
児島湾に浮かぶ高嶋 |
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高 島 神 社 旧村社
岡山市宮浦三二六八
主祭神 神武天皇 天児屋根命 武甕槌命 経津主命 比咩命例 祭 十月十四日・十五日 境内地 九八二坪 主要建物 本殿 幣殿 拝殿 釣殿 神饌所 渡廓下 逢拝所 摂末社 龍神社 氏子数 一、〇五〇人 崇敬者数 五四、〇〇〇人 由緒沿革 創建は神武天皇乙卯年三月、神階は従五位 下である。神武天皇が御東征の砺、当地に行宮を創設 せられたのにはじまる。光仁天皇の宝亀三年に相殿と して四柱の神を奉斎した。古事記に記載してある高島 宮とは本神社のことで、(即ち昭和十五年五月六日文 部省から官報第三九九六号で高島宮伝説地として指定 せられた)往古から朝廷、国司、藩主の尊崇厚く、神 封、社領或は社殿の新改築等の寄進があった。明治維 新に村社に列格した。昭和二十一年一月十四日に由緒 上は県社に該当するものと神祇院考証課長から確認を 受けている。 −『岡山県神社誌』より抜粋− |
