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秋鹿神社
あいかじんじゃ
島根県松江市秋鹿2853

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式外社 秋鹿社 出雲国風土記 |
松江と平田をつなぐ、宍道湖北部広域農道から
秋鹿町で、少し北上した場所、道路脇東側にある。
鳥居をくぐり、神門を過ぎると、やや広めの境内があり、
荒垣内に西向きの社殿が鎮座。周囲に小さな境内社が幾つかある。
拝殿も大きく立派で、御井神社・八幡宮が合祀され、
拝殿の額は、三枚掲げられている。
創祀年代は不詳。
秋鹿郡の名の由来となった、秋鹿日女命を祀る当社は、
出雲国風土記記載の社だが、神祇官不在社で、最後に記されている。
郡名の由来である当社だが、風土記の頃には、
すでに小社となっていたのだろう。
秋鹿日女命に関する伝承はわからなかったが、
境内案内には、「大己貴命の火傷治療」をした女神とある。
古事記にある蚶貝比売・蛤貝比売と同神だろうか。
秋鹿(あいか)の名から類推すると、赤貝の女神・蚶貝比売。
であれば、神魂命の娘で、佐太大神の母神ということになる。
合祀されている御井神社の祭神・罔象女命と合せて、
秋鹿姫二所大明神とも呼ばれていた。
御井神社は、式内論社で、他の論社には佐太神社境内社。
古社地には神井があるらしい。
西向きの本殿は大社造。荒垣内の拝殿も大きい。
社殿左後方には、幾つかの境内社と社日がある。
周囲は山々に囲まれ、宍道湖から日本海へ抜ける道の途中。
のどかな農村にある神社の趣き。
社頭 |
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鳥居 ![]() | 参道の神門 ![]() |
境内 |
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拝殿 ![]() | 拝殿の扁額三枚 ![]() |
本殿 ![]() | 本殿 ![]() |
境内社 ![]() | 境内社 ![]() | 境内社 ![]() | 境内社 ![]() |
由緒記
創立年紀は不詳であるが、風土記所載の古社であり、
記に依れば、秋鹿と名つくる所以は、郡家の正北に
秋鹿日女命 坐す故に秋鹿と云ふ。依って該社
再興或いは修復等の節には、郡中より 現米七俵
を寄附する例あり。然るに、寛保三年度より、其
例絶ん、明治五年三月、村社に列せられる。
秋鹿日女命は、天勅を蒙り、大己貴命の火傷を治 療給はん為に此國に降り給ひて、其任を果し給ひ、御功 績甚だ顕著であり、此の御功績ぞ即ち、大己貴命の遂 に天下蒼生の為、大に利養厚生の道を開き給へし一の 原動力と成れり。此の御縁由に依って永く此地に鎮座し給ふなり。
延喜式内の社なりと雖ども、中古衰頽して秋鹿
神社に合祭す。其年紀不詳、今の秋鹿社より南
方距離九十米、旧跡猶在り、森有 現在民有地、
其中に神井三ツ有、古老の伝説に曰く、「井上の山の端
に平地有り、此所に社有りしに、衰頽せしにより秋鹿社に合祭す。」
と云ふ。三の井は、近年迄近隣住民の飲料とす。
又、中古より、社号を、秋鹿姫二所大明神と称 するは、罔象女命と秋鹿日女命と坐す、所以なり。
八幡宮は、往古、秋鹿川の河畔に鎮座なりしが、
某年、洪水の為、社地流亡したるを以て当社に合
し奉れり。其年代不詳と雖ども、秋鹿神社 貞
享三年の棟札に依れば、或いは此年ならん。
−境内案内− |
【 秋鹿神社 】
