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横田神社
よこたじんじゃ
島根県松江市美保関町森山277

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境水道を挟んで境港の対岸、境水道大橋の西3Km。
路地を海側に入ったところ、集落の中にある。
社名を示すものが見当たらず、不安だったが、とりあえず参拝。
その後、式内社調査報告を見て、確認した。
境内は海に向かい、背後に横田山がある。
現在は、その間を、431号線が走っており、
東へ行くと美保神社がある。
創祀年代は不詳。
式内社・横田神社に比定される古社。
昔は、横田山の西の横田谷に鎮座していたという。
横田山は、尼子義久の家臣秋上伊織之助久家の城山だったが、
毛利に降り落城。横田神社も美保神社に合祀されていた。
後、天正十九年(1591)現在地に横田神社を復興し
美保神社を相殿に祀ったという。
横田山山頂には金刀比羅の祠があり、金刀比羅山とも呼ぶ。
鎮座地の森山に西隣、下宇部尾にも同名の横田神社が存在し
当社は、下宇部尾から遷されたとする説があるらしい。
狭い路地を縫うように進むと境内がある。
集落の中にあり、拝殿は新しいが、境内は綺麗に維持されたいる。
神門 ![]() | 拝殿 ![]() |
本殿 |
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境内社 ![]() | 彰徳社、疱瘡社・八幡宮・若宮 ![]() |
創立年代は不詳。風土記にいう「横田社」であ
ろうが、横田神社はもう一社、美保関町大字下宇部尾字宮
ノ谷にも所在する。当社と共に古村社である。明治二十二
年の町村制施行のさい、福浦・森山・下宇部尾の三村を合
併して森山村が成立した。下宇部尾は森山の西隣の集落
で、『出雲神社巡拝記』は「当社、古へハ下宇部尾村にあ
りしを、後に当所に合祭れり、横田とハ彼の村古ハよこた
村と云し故なりとそ」と記している。『大日本地名辞書』
は、巡拝記に拠って「延喜式、横田神社は古下宇部尾に在
りしを、森山に移す。下宇部尾は今森山村の大字にして、
古名横田と曰へりとぞ。」としている。然るに、『八束郡
誌』ではこれらの説を採らず、神社明細帳に拠り、大字森
山字横田の横田山城址の西下の横田谷に社地があったと
し、水田の下に鳥居の根の朽木が残っていると書いてい
る。横田城落城後、古関の美保神社に合祭し、のち天正十
九年(一五九一)に現在地横田神社の社殿を設け、これに
美保神社を合祭したとしている。
−『式内社調査報告』− |
【 横田神社 】
