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伊甘神社
いかんじんじゃ
島根県浜田市下府町903−2

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式内社 石見國那賀郡 伊甘神社 |
島根県浜田市にある。
下府駅の北200mの下府町に鎮座。
9号線から下府駅方面に降り、
少し北上して、東へ高架をくぐると目の前。
参道を、JR高架が横切っている形で、高架が鳥居のような感じだ。
朝早い参拝。昇ったばかりの朝日で、逆光の境内。
撮影には最悪のコンデションだが、境内は清々しい。
鳥居をくぐると正面に拝殿。
拝殿の後方に、「変態春日造」の本殿がある。
境内右手には、「国府跡」の石碑があり、
当社周辺が、石見国府であったという。
境内の奥には、「御所の池」と呼ばれる小さな池があり、
国庁庭園の池の跡だと伝えられている。
通称、下府明神。
創祀年代は、貞観三年(861)五月五日。
祭神は、伊甘郷開拓の猪甘首の祖である、天足彦國押人命。
三代実録によると、貞観十一年従五位上、貞観十七年正五位下、
元慶三年正五位上の神階を授けられた古社。
式内社・伊甘神社に比定されており、
石見国府跡に鎮座し、印鑰神社の棟札が残っている。
昔は、東北方向にある「吹上浜」という丘に鎮座していたという。
『式内社調査報告』によると合祀されている府中神社は、
三代実録によると、貞観十三年従五位下、貞観十七年従五位上、
元慶三年正五位下と、伊甘神社に次ぐ神階が授けられた社で、
これが、石見国総社であったのかもしれない。
なお、『神國島根』には府中神社は境内社とあるが、
社前の由緒書きには配祀とある。
境内入口の左右に一つずつ、本殿の左に三つの境内社がある。
詳細は不明だが、府中神社・御所神社・庄神社・大元神社のいづれかだろうか。
あるいは府中神社は本殿に配祀されていて、残りの三社なのかもしれない。
本殿の屋根には、桐紋が付いていたが、
『神国島根』には、菊と桐の二つが記されていた。
残念ながら、菊は未確認。
『式内社調査報告』には、五三の桐とだけ、書かれている。
境内入口 |
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境内入口の小祠 ![]() | 境内 ![]() | 境内入口の小祠 ![]() |
社殿 |
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境内後方に御所の池 ![]() | 境内社 ![]() |
国府跡 ![]() | 本殿と境内社 ![]() | 本殿 ![]() |
ムクノキ |
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記
由 緒
式内伊甘神社は第六十代醍醐天皇延喜三年
制定延喜式の内神明帳に登載されている石見國
式内神社三十四座の一座であって歴史上重要な
銘社である祭神は古代石見地方開拓に努力した「小野族」の遠 祖であって当時國幣並社の待遇を與えられていた 明治五年村社に列し昭和二十一年宗教法人神社本 庁に従属し今日に到る 現在の社地に石見國府 跡であって社宝の印鑰神社の棟札を保存している 本殿の形式は「変態春日造」である −社前案内板より− 御所の池
この池は古来「御所の池」と呼ばれているこのあたりの字名を御所と称し、石見国庁跡 とされているが、「御所の池」は曽ては国庁 庭園の池であったと古老は伝える。ここら一 帯は、下府砂丘下の、清水がこんこんと豊富 に湧き出る水筋にあたり。どんな日照り年で もこの水が涸れたことがない。この地域に国 庁が置かれた理由の一つに挙げられている。 この池を「伊甘の池」ともいう。古き伊甘 郷の中心にある池の意か、または現存する伊 甘神社に因んだものか。なお、「伊甘」を 「井甘」として「甘水の湧き出る井」に解し 伊甘郷名の起源とする説(石見八重葎)もあ るが、それよりも、大昔この地を開拓した 「猪甘部」によるとするのが有力である。 −境内案内板より− 由緒掲示板 御祭神 天足彦国押人命 延喜式神明帳に「石見国那賀郡十一座小並伊甘神社云々」。三代実録に「貞寛十一年甲申石見国従五位勲七等下元慶三辛卯授石見国正五位下勲七等伊甘神社正五位上云々」明治5年村社に列し幣帛共進神社に指定せられ昭和21年8月1日宗教法人令に則る神社として神社本庁に従座した。 −『平成祭データ』− |
