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三谷神社
みたにじんじゃ
島根県出雲市大津町下来原3559

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島根県出雲市にある。
斐伊川の西岸で、JR山陰線から南へ700mほどの三谷山に鎮座。
山といっても、ちょっとした丘程度だが。
南麓に鳥居があり、階段を上ると境内。
境内には多くの石祠が祀られている。
社伝によれば、新宮氏が紀州熊野から勧請したという。
勧請年代は未詳。
式内社・阿須利神社として掲載しているが、
当社そのものが、式内社であったわけではない。
元禄十三年(1700)、当地・池ノ内にあった阿須利神社が当社に合祀され、
明治五年に、独立した経緯により、
当社を「式内三谷大明神」と呼ぶ場合があるらしい。
阿須利神社の独立に伴い、当社は廃社の憂目にあったのだが、
地元の方々の努力により、再興。
その後、水害で崩壊したため、三谷山から現社地に遷座したもの。
当社神事には、出雲古来の投獅子という獅子舞があるらしい。
山麓の鳥居 ![]() | 参道 ![]() | 参道の鳥居 ![]() |
拝殿 |
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社日 ![]() | 本殿 ![]() | 稲荷社 ![]() |
境内の祠 ![]() | 境内の祠 ![]() |
勧請年代は未詳であるが、社伝によれ
ば、往昔新宮氏の先祖が紀州熊野から勧請したと
なっている。天文二十年(一五五一)地頭伊秩左
京亮の寄進状を有するので、遅くも戦国時代には
祀られていたものと思われる。古来上来原の三谷
山上にあり、その故に三谷権現と称されていたが、
元禄十三年(一七〇〇)それまで同地池ノ内にあ
った式内阿須利神社を当社に合祀したので、以後
の諸書では「式内三谷大明神」などと記されてい
る。しかるに明治五年、神社制度の改正にあたり、
阿須利神社がふたたび独立社として大津町山廻の
地に遷されることになってため、当社は一時廃社
となり、その後地区民の陳情により、同十三年無
格社として再興した。降って昭和三十六年、未曾
有の水害によって社殿が顛倒し、社地も崩壊した
ので、新たに現在地に社地を求め、翌三十七年、
造営遷座して今日に至っている。
−「神國島根」− |
【 三谷神社 】
