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揖夜神社
いやじんじゃ
島根県松江市東出雲町揖屋字宮山2229
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式内社 出雲國意宇郡 揖夜神社 |
東出雲、揖屋駅裏にある。
当日は近くの婦人会の方々が境内の掃除(奉仕)をしていた。
神職の方を探したが、見つからず、時間もなく、
朱印と境外末社の市原神社はあきらめる。
意宇六社の一社。意宇六社とは、
神魂、熊野、揖夜、真名井、八重垣、六所神社。
創祀年代は不詳。
式内社・揖夜神社に比定されている古社。
出雲国風土記には「伊布夜社」。日本書紀斎明記には「言屋社」。
明治までは、揖屋大社、揖屋大明神と呼ばれていたが、
明治になって、揖夜神社と改称した。
日本書紀に「又狗噛置死人手臂於言屋社」とあり、
犬が死人の手を噛んでいたという記述があり、
天子崩御の兆しとされた。
古事記には「故其所謂黄泉比良坂者、今謂出雲國之伊賦夜坂也」とあり、
イザナミの黄泉の国への入口が当地にあるという。
イフヤ、あるいはイヤという語には、死のイメージがあるのだろうか。
本殿の左手にある境内社・韓國伊太氐神社も式内社とされている。
出雲の式内社に同名と思われる社が、意宇郡に三社、出雲郡に三社、合計六社。
意宇郡はすべて「同社坐」、出雲郡は「同社」とあり、
すべて他の神社境内にあるという記述が興味深い。
意宇郡・玉作湯神社、 同社坐韓國伊太氐神社
意宇郡・揖夜神社、 同社坐韓國伊大弖神社
意宇郡・佐久多神社、 同社坐韓國伊太弖神社
出雲郡・阿湏伎神社、 同社神韓國伊大弖神社
出雲郡・出雲神社、 同社韓國伊大弖神社
出雲郡・曾枳能夜神社、 同社韓國伊大弖奉神社
境内は広く綺麗。本殿左右に境内社がある。
出雲の神社はほとんどこの形態だ。
境内の祠のそばに、変わった形の藁が納められ
周囲の地面に小さな御幣が沢山立てられていた。
こういう光景を、たまに神社境内に見かけるが、名前は知らない。
鳥居 | 神門 |
境内社殿 |
拝殿 | 本殿 |
本殿左 韓國伊太氐神社 素盞嗚命 五十猛命 風土記「伊布夜社」 | 本殿 | 本殿右 三穂津姫神社 三穂津姫 風土記社とあるが |
境内社と変わった形の奉納藁 |
恵比須社 | 天満宮 | 恵比須社 | 稲荷社 |
揖夜神社御由緒略記 謹みて按ずるに當社は 伊弉冉命 大巳貴命 少彦名命 事代主命 の四柱大神を齊き祀る。その御鎮座の由緒はえい沓遠にして詳悉すべからずと云へども、既に古事記神代巻には伊賦夜坂に就いて記され、降って日本紀齊明天皇御紀五年(紀元1319年1275年前)是歳の絛に言屋社言屋此云伊浮耶出雲風土記に伊布夜社延喜式神名帳に揖夜神社と載せられたり、古来朝廷の御崇敬厚く、三代實録に清和天皇の貞観九年五月二日(紀元1527年1617年前)揖屋神従五位上、同十三年十一月十日(紀元1531年1613年前)揖屋神正五位下御神階の御事見え特に出雲國造奉仕の神社として仄くより別火の職を定めらる。固より歴代武将の崇敬も他に異なるものあり、天文十二年三月廿七日(紀元2203年391年前)大内義隆は太刀神馬を進獻し、同廿四年二月廿八日(紀元2215年379年前)尼子晴久は出東郡氷室庄の内百貫を寄進し、天正十一年十一月廿四日(紀元2243年151年前)毛利元秋は社殿を造立し、慶長六年卯月廿六日(紀元2261年333年前)堀尾吉晴は社領四十石を寄せ、元和元年十一月廿七日(紀元2275年319年前)同忠晴は社殿を再建し、寛永十一年九月廿六日(紀元2294年299年前)京極忠高は舊領を安堵し次いで社殿の修造を行ひしが、更らに松平氏に迄っては、寛永十五年十二年六日(紀元2298年296年前)初代直政社領五十三石を定めて年中の祭事を執行はしめ爾来歴代の藩主咸この例によれり、而して社殿の營繕は所謂御修覆社として同藩作事方の手に成り、御遷宮には藩主の代参立ち、又古例によりて出雲國造の奉仕ありき。明治五年二月郷社に列し、同四十年四月廿八日勅令による神饌幣帛供進神社の指定を受け、大正十五年十一月廿二日縣社に昇列す。 當社は意宇六社(熊野神社・神魂神社・八重垣神社・六所神社・真名井神社・揖夜神社)の一として広く知られ、六社参りと唱へ参拝者が甚だ多い。 大祭 例祭 十月十九日 祈年祭 四月十九日 新嘗祭 十一月二十五日 古傳祭 田打祭 一月三日 田植祭 六月 穂掛祭 八月二十八日 一ツ石神幸祭 同日 −『平成祭データ』− 揖夜神社 鳥根県八束郡東出雲町。伊弉冉命・大己貴命・少彦名命・事代主命を主祭神とし、武御名方命・経津主命を配祀する。『延書式神名帳』はイフヤと訓み、『出雲国風土記』も伊布夜社と載せる。記紀神話の黄泉の国と現世との境である黄泉比良坂は、当社の東方・平賀字神子谷と伝えるがはっきりしない。神階は『三代実録』によると、貞観九年(八六七)五月二日に従五位上、同一三年に正五位下に昇叙。後、毛利・堀尾・京極・松平各氏の崇敬篤く、それぞれ領地の寄進を見る。社殿は大社造りに属すが、内陣は出雲大社の逆造りになっている。当社の文書は『出雲意宇六社文書』として刊行されている。例祭一○月一九日。 −『神社辞典』− |