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神代神社
かむしろじんじゃ
島根県出雲市斐川町神庭字宇屋谷485
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島根県出雲市(旧斐川町)。
荒神谷遺跡のそば、東の宇屋谷の丘の上にある。
道路から大きな灯篭が見えるが、鳥居はない。
狭く、暗く、なんとも怪しげな雰囲気の参道を登る。
創祀年代は不詳。
式内社・神代神社の論社で、出雲国風土記に「神代社」とある神社。
延宝元年、高瀬城主米原氏によって八幡宮が勧請され
明治までは、宇夜八幡宮と称していた。
明治になって神代神社と改称し、明治四年郷社に列した。
出雲国風土記に、
宇夜都辨命が、山に降臨した地で、この神を祀った社がある地。
宇夜の里といっていたが、「健部(たけるべ)」と名を変えたとある。
その理由は、景行天皇が「朕が御子、倭健命の御名を忘れじ」と云ったため。
その時に、神門臣古禰(=出雲振根)を健部と改名したともある。
ここは、車道のそばのはずだが、わかりづらい。
鳥居がなく、山の下に、二本の灯篭が見えるだけ。
寺かもしれない、と、思いながら歩いて近づくと、
石碑に、かすかに、「神代神社」とある。
わかりずらいぞ。
社頭 |
社号標 | 狭い参道、上から | 社日 |
拝殿 | 拝殿扁額 |
社殿 |
神代神社 旧郷社 簸川郡斐川村宇屋神庭 祭神 宇夜都弁命 他二柱 例祭 一○月二一日 神紋 つるがしわ 本殿 大社造 五坪 宝物 後水尾天皇宸筆、額面 氏子 一五戸 由緒沿革 延喜式内社にして出雲風土記に宇夜都弁命とあり。此里(元壮原村、出西村、八束郡宍道伊志見)を治め給いし女神なり。 −『神社名鑑』− 明治四年、それまでの宇夜八幡宮を改め、誉田天皇を合 殿とし、新たに風土記の出雲郡建部郷の條に見える「宇夜里の宇夜辨命を主祭神とし、社号を神代神社」とし、したがつて式内社であるとして郷社に列せられた。−『式内社調査報告』− |
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