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玉祖神社
たまのおやじんじゃ
山口県防府市大字大崎1690

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JR防府駅の西3Km。佐波川の北に位置する。
防府西I.C.の近く。
2号線側に鳥居があり、側に宮司宅がある。
鳥居から参道が北へ延び、200mほどで境内。
社名は、通常「たまのおや」と呼ぶが、
「たまのや」「たまそ」「たまつ」と呼ばれる場合もある。
延喜式に「玉祖神社二座」とあり、一座は玉祖命。
もう一座は現在未詳とされ、定説がない。
古来、天鏡命、天日神とし、八咫鏡であるといい、
あるいはそれを御霊代とする日神(天照大神)ではないかともいう。
または、天照大神を摂社浜宮御祖神社にあてる説もある。
御祖神社祭神は、他に高皇産霊尊、女神、玉祖命の母神など、
諸説あって確証はない。
玉祖命は、玉造連の祖神。
櫛明玉命・羽明玉命・豊玉命・玉屋命とも称する。
天孫降臨の際の五伴緒神の一柱で、この地を平定し、
後、当地から神避り、御祖の地に葬られた。
当社の特殊神事に「占手神事」があり、
神功皇后時代に始まった神事で、
山口県指定無形民俗文化財となっている。
丑の刻(午前二時前後)に行われる相撲のようなものらしい。
当社の神紋は、亀甲紋様の周りに曲玉を3つ。
中央の亀甲が何を表わすのか、宮司不在でわからなかった。
当社の周囲には、当社ゆかりの地がいくつかあるのだが、
行き忘れてしまったので、かなり後悔している。
ちなみに、以下のもの。
・神社北方300mの「宮城森」。景行天皇の行宮跡。
・神社北北西600mの「八籠山」。景行天皇行宮造営の際に八神を祀る。
・神社北方500mの「玉の岩屋」。祭神の墓所とされる。
・旧社地といわれる「江良の厄神の森」。
・摂社浜宮御祖神社、若宮社など。
参道途中、「うぶ神様」と呼ばれる石祠が東西にある。
当社特殊神事「占手神事」の主役は玉祖命ではなく、
この東西のうぶ神ではないかと考えられている。
境内には「黒柏」が多く飼われており、
当社がその発祥の地とされている。
鳥居 |
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うぶ神様 | |
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国幣社石碑 ![]() | 猿田彦大神 ![]() | 一宮社と刻まれた灯籠 ![]() |
社頭 |
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境内入口 ![]() | 神門 ![]() |
境内 |
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社殿 ![]() | 本殿 ![]() |
黒柏発祥之地の石碑 |
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旧国幣社 玉祖神社由緒
周防国一ノ宮として由緒深く、御祭神は三種の神器の
一つである八坂瓊曲玉を造られた玉祖命であります。玉祖命
は五伴緒神の一柱として中国地方を治められ、ここ大崎の地で
歿せられたと伝えられ社殿の北、約五百米にある玉岩窟(たまのいわや)はそ
の墓所と云われています。 神社の創建はあまりにも古く
定かではありませんが、景行天皇十二年西征にあたって戦
勝祈願のため宝剣を奉納されたものが今も御神宝として
伝わっております。仲哀天皇・神功皇后も西征の折ご参拝になり。今の佐野焼 の始祖と云われる沢田の長に三足の土鼎と盎を作らせ米を炊 き捧げられ、また軍の吉凶を占われたことに起因すると云う 占手神事も昔ながらに伝えられ厳かに執行さされております。 玉は洋の東西を問わず美しく尊いもので平和のシンボルと されていますが四月十日の玉の祭には全国各地から宝石・眼鏡・ 時計・カメラ業者が参拝しており、玉の祖神として、また平和 の神として崇敬されております。
−境内説明板− |
