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刺鹿神社
さつかじんじゃ
島根県大田市久手町刺鹿1475

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島根県大田市にある。
大田市駅の北東2Kmほどの久手町に鎮座。
駅から9号線を北東へ進み、清滝ダム方面へ向かう道を右折。
狭い道を注意しながらゆっくりと進んでいくと、
道の西側に、参道入口の鳥居が見える。
鳥居をくぐり、参道の坂道を登っていくと、
木々が茂った林の中へ進んでいく。
その暗い林の道の先に、鳥居のシルエット。
林を抜けきった場所の左手に境内がある。
参道は、そのまま直進して下って行くようで、
僕が登ってきた道が表参道なのか、裏参道なのか、
参道の先を確認していないので、わからない。
境内入口の鳥居の正面には、大きな社殿。
拝殿の後方に、流造の本殿が立ち、
左右に境内社がある。
拝殿の前には、休息所らしきベンチがある。
社殿に向かって、境内の右手に赤い鳥居が丘の上まで続いており、
上には、刺鹿稲荷社が祀られていた。
「刺鹿」の地名は、古代において鹿を刺した、
つまり、鹿を狩の対象とした地ということらしいが、
かなり、安易な解釈のような気がする。
当社は、以下の三社が合併した神社。
まず、元暦二年、甲斐国住人山内豊後守が
当地に勧請したという元村社・八幡宮で、
祭神は、現在の主祭神である、誉田別尊・息長足媛命・武内宿禰。
次に、以前は宮垣に鎮座していたという
元村社・刺鹿神社で、祭神は大彦命。
最後に、元無格社・大元神社で祭神は國常立命。
このうち、元村社の刺鹿神社が、
式内社に比定されている神社。
貞観六年には、すでに勧請されていた大社であったが、
中古戦乱のために衰退し、明治四十年に八幡宮へ合併されたらしい。
本殿の左右にある境内社について。
『神国島根』によると、金刀比羅社と天満宮のようだが、
左右のどちらがどちらかは、判らなかった。
社殿の屋根に桐の紋が付けられていたが、
当社の神紋かどうか、確認できていない。
『式内社調査報告』には、三つ巴と記されている。
参道入口 ![]() | 参道 ![]() | 参道 ![]() |
境内 ![]() | 社殿 ![]() |
社殿 |
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境内社と本殿 ![]() | 本殿と境内社 ![]() |
稲荷社参道 ![]() | 稲荷社 ![]() |
